帝國博物学協会
上野國
得川館
 所在地 群馬県太田市徳川町388
 交通機関 東武伊勢崎線 世良田駅下車  徒歩30分
 別  名 得川義季館・得川氏館・徳川館
 略  歴 新田氏の一族、得川氏の居館とされているのが得川館である。
得川氏は、新田義重の四男義季が得川氏を名乗ったのがその創始とされており、その義季が館を構えたのがこの地である。
得川氏を含む新田氏一族は、鎌倉期には頼朝以降北條得宗家にも冷遇されていた。
その後、得川氏は歴史の中に埋れていった。
得川氏が再び歴史の中に登場するのは、三河松平郷の松平氏に徳阿弥と称する僧行が入り婿し、松平親氏と称して以降である。
この得阿弥が得川氏の後裔であるとされ、清康の代には世良田氏を称していた。
その後、家康の代に得川氏の後裔として徳川を姓とした。
天正18(1590)年、北條氏の後を受けて関東に入封した家康は、祖先の地として得川郷を保護、以後徳川幕府によって保護された。
 現  況 縁切寺萬徳寺遺跡公園の北側、東照宮の地が得川館址である。
参道入口には得川義季館址の碑が建てられている。
東照宮裏側には義季の父新田義重夫妻の墓と伝わる宝塔がある。

新田義重夫妻
宝塔

得川館跡付近

得川館跡付近

得川館(東照宮)

東照宮拝殿
萬徳寺遺跡公園 萬徳寺は得川氏初代義季の娘、浄念尼が開いた時宗の尼寺で、代々の住職は新田一族から出たという寺である。
天正19(1591)年、徳川家康から寺領百石を寄進されて寺が復興された。
大坂城落城の際に救い出された千姫が萬徳寺に入寺して、豊臣家からの縁を切った事をきっかけとして、縁切寺としての位置を確立した。
以降、幕府から優遇を受け、寛永12(1635)年、3代将軍家光の時に寺を再建し、以後将軍家の位牌所として修繕費等は全て幕府からし支出された。
萬徳寺は江戸時代を通じて幕府の権力を背景として縁切寺としての機能を発揮したが、明治5(1872)年、徳川幕府の崩壊によって廃寺となった。
明治27年、由緒ある寺の消滅を惜しんだ地元有志によって再興され、現在に至っている。

縁切寺萬徳寺
案内板

萬徳寺冠木門

萬徳寺本堂

隠居所跡

宝物倉跡

本堂

庫裏跡

客殿跡

土蔵跡

中間部屋跡

薪入所跡
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