帝國博物学協会
上野國
鶉古城
 所在地 群馬県邑楽郡邑楽町鶉新田
 交通機関 東武伊勢崎線 多々良駅下車 徒歩15分
 別  名 鶉小城
 略  歴 元弘3(1333)年、鎌倉幕府滅亡の折、北条得宗家14代執権高時の弟で、この地に逃れてきた慧性(北条泰家)・荒間朝春によって築城された。
応永年(1394〜1428)間には、多々良四郎忠致の居城となり、更に戦国期には、館林城館林長尾氏の家臣で高松城主であった小曾根政義が、兼帯で守備していた。
その後、この地域は北条氏の支配下に組み込まれていったが、天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原合戦で、館林城が落城すると、鶉古城は廃城となった。
 現  況 城址は多々良沼に突出した荒間崎と呼ばれる半島に築かれており、現在では多々良公園となっている。公園西側に良好に土塁と空掘が残されている。
ニ郭と主郭の間の空掘も残されている。また、主郭の土塁がほんの少しだけ残されているのが嬉しい。
先端には江ノ島弁財天を勧請して鎮守とした、浮島辨財尊天がある。
外郭 外郭の西側に広がる空間で、半島の付根付近までの空間である。
西側の畑とは明確な段差が認められ、その段差に沿って、堀状の畑があることから、外郭があったのではないかと見る事もできる。
日本城郭体系の縄張り図に天狗屋敷と記されている場所であることから、誰かの屋敷が置かれていたのかもしれない。

外郭遠望

外郭段差と
堀状の畑

外郭段差と
堀状の畑
二郭 外郭の西側に広がる空間で、半島の付根付近までの空間である。
西側の畑とは明確な段差が認められ、その段差に沿って、堀状の畑があることから、外郭があったのではないかと見る事もできる。
日本城郭体系の縄張り図に天狗屋敷と記されている場所であることから、誰かの屋敷が置かれていたのかもしれない。

北西側の土塁
と空堀

西側の土塁
と空堀

西側の土塁
と空堀

西側の土塁

西側の土塁
と空堀

西南側の土塁

虎口土塁

鶉古城標柱と
案内板

西側の土塁
内側

西側の土塁
内側

北面切岸西側

北面切岸中央部

北面切岸中央部

井戸

ニ郭郭内

ニ郭郭内
主郭 半島の先端を堀切って構築された郭で、鶉古城の最終拠点である。
西側の北側の土塁が、ようやく残されているのが、唯一の遺構である。

西側の空掘

主郭北西角

主郭土塁

主郭と二郭
北面

主郭西土塁

主郭西土塁

主郭
浮島 浮島辨財尊天がある、主郭先端沖合いにある小島である。
ここには、南北朝期と推定される墓石の一部が残されている。

浮島辨財尊天
縁起

浮島辨財尊天

墓石
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