帝國博物学協会
上野國
和田城
 所在地 群馬県高崎市高松町
 交通機関 JR高崎駅下車 徒歩20分
 別  名 -
 略  歴 正長元(1428)年、和田義信によって築かれたとされている。
その後、和田氏は関東管領上杉氏に従って、結城合戦などで戦功を上げた。
上杉氏が衰退し、越後の長尾政虎(謙信)がそれに代わって勢力を伸ばしてくると、それに従い小田原遠征に従ったが、これに失敗すると、上杉氏を離れ武田信玄に従った。
その後、数度の謙信の猛攻にも耐えて、和田城はその威力を誇ったが、信玄死後、勝頼が長篠合戦で惨敗し、一挙に武田氏の勢力が弱体化すると、和田氏は北条氏に従った。
天正18(1590)年の、豊臣秀吉の小田原の陣では、小田原北条氏の側に参陣したため和田城は北国街道を南下した前田・上杉勢に降り、和田氏は滅亡、城も廃城となった。
 現  況 城址は後に高崎城として作り変えられてしまった。そのため、和田城址としての遺構はほとんど残されていない。
かつては烏川岸上に土塁・空掘などの遺構が残されていたが、国道の開通と共にほぼ完璧に失われてしまった。
和田橋付近に残されている櫓台の土塁が、唯一の遺構である。

櫓台土塁遺構
と案内板

櫓台土塁遺構
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