帝國博物学協会
備中國
足守陣屋
 所在地 岡山県岡山市足守
 交通機関 JR吉備線足守駅下車 中鉄バス中之町 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 足守藩の藩祖は杉原家定である。
家定は豊臣秀吉の正室、北政所(寧々・於寧)の兄で、本姓を杉原と言ったが、秀吉が天下を握ると、木下姓を名乗る事を許され、木下家定と名乗る事になった。
慶長5(1600)年の関ヶ原合戦後、家定は播磨姫路城から転封になり、足守藩を立藩し、この地に陣屋を築いた。
慶長13(1608)年、家定が没すると、高台院が嫡男、勝俊に全領を相続させた。
勝俊は、関が原合戦以前は、若狭後瀬山城8万石の城主であったが、関ヶ原合戦で東軍に属し、鳥居元忠と共に伏見城の守将を命ぜられたが、西軍の攻撃前に逃亡した事の責を負って改易となっていた。
この相続は、弟の利房との争いとなり、御家騒動に発展したため、木下氏は幕府によって改易となった。
慶長15(1610)年、浅野長政の三男長晟が24000石で入封したが、慶長18(1613)年には、兄幸長の死去に伴って浅野本家である和歌山城376000石を相続し、足守藩領は天領となった。
元和元(1615)年、先に兄勝俊との争いで、足守藩を相続できなかった木下利房が、大阪の陣の功績によって自力で25000石を獲得し、足守に入封し、以後11代256年間、木下家が陣屋の主として明治維新を迎えている。
 現  況 陣屋址は単郭で、周囲の石垣と水濠が残されている。
陣屋内の建物は残されていないが、宮地山城のある宮地山を借景とした庭園「近水園」の茶亭「吟風閣」のみが、現存している。
陣屋と近水園の間には、木下利玄(最後の藩主木下利恭の弟利永の二男・後宗家を継承)の生家の門が残されており、また城下には北木下家の長屋門形式の表門、侍屋敷などが残されている。

陣屋前水濠

内虎口石垣
と水濠

陣屋前水濠と
石垣

足守陣屋址碑
と内虎口門跡

陣屋正門跡

陣屋正門脇の
内虎口折れ

陣屋前水濠と
石垣

陣屋跡

陣屋址南側水濠

陣屋東南角

陣屋東南角
近水園

陣屋前から
近水園を望む

近水園前の水濠
と石垣

近水園東側水濠
と石垣

近水園東側水濠
と石垣

近水園入口

吟風閣

近水園庭園

近水園庭園と
宮地山
侍屋敷

木下利玄邸門

北木下家長屋門

侍屋敷
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