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| 所在地 | 岡山県岡山市撫川 |
| 交通機関 | JR庭瀬駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 芝場城 |
| 略 歴 |
室町末期、備中の三村元親が築いた。三村氏は、その後織田方についたとして、毛利氏によって滅亡している。 天正10(1582)年、毛利・宇喜多両氏の境目の城として井上有景が入城した。 織田信長による中国侵攻が始まると、有景は800の軍勢で籠城し、毛利・羽柴両軍が和睦するまで持ちこたえている。 両家の和睦の結果、撫川城は羽柴方の宇喜多氏配下になり、境目の城としての役割も無くなった事から、この時点で一旦廃城になる。 慶長5(1600)年、主家宇喜多家の意向に反して東軍に属した戸川達安は、戦功を挙げ、備中の都宇・賀陽両郡29000石を与えられて庭瀬城に入城した。 延宝7(1679)年、4代藩主安風が早世し、嗣子が無かった為、戸川氏は除封され、庭瀬は倉敷代官所支配の天領になった。 一方撫川城には安風の弟の戸川達冨が5,000石で入城し、陣屋を構えた。 |
| 現 況 |
城址には三神社が建っており、撫川城址公園として公開されている。 城址は単郭で西側には野面積みの石垣が残されており、東側には土塁がよく残っている。 また、大手口には撫川知行所総門が移築されており、郭内には井戸も残されている。 |
![]() 撫川知行所総門 |
![]() 南水濠と土塁 |
![]() 南水濠と石垣 |
![]() 撫川城址公園碑 |
![]() 南東側土塁 |
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![]() 南東側土塁 |
![]() 東側土塁 |
![]() 郭内 |
![]() 井戸 |
![]() 東側石垣石 |
![]() 城址水濠と石垣 |
![]() 西南櫓台石垣 |
![]() 西南櫓台石垣 |
![]() 西北角石垣 |
![]() 水路 |
![]() 東北角土塁 |
![]() 東側土塁 |
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