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| 所在地 | 岡山県岡山市庭瀬 |
| 交通機関 | JR庭瀬駅下車 徒歩10分 |
| 別 名 | 芝場城 |
| 略 歴 |
室町末期、備中の三村元親が築いた。三村氏は、その後織田方についたとして、毛利氏によって滅亡している。 天正10(1582)年、毛利・宇喜多両氏の境目の城として井上有景が入城した。 織田信長による中国侵攻が始まると、有景は800の軍勢で籠城し、毛利・羽柴両軍が和睦するまで持ちこたえている。 両家の和睦の結果、庭瀬城は羽柴方の宇喜多氏配下になり、境目の城としての役割も無くなった事から、この時点で一旦廃城になる。 慶長5(1600)年、主家宇喜多家の意向に反して東軍に属した戸川達安は、戦功を挙げ、備中の都宇・賀陽両郡29000石を与えられて庭瀬城に入城した。 延宝7(1679)年、4代藩主安風が早世し、嗣子が無かった為、戸川氏は除封され、庭瀬は倉敷代官所支配の天領になった。 元禄12(1699)年、高滝藩板倉重高が20,000万石で入封、板倉氏のもとで明治維新を迎えた。 |
| 現 況 |
城址には清山神社が建っている。 城址周囲の水路が残っており、沼城と言われた往時の姿を垣間見る事ができる。 また、野面積みの石垣が一部に残されている。 なお、最盛期の庭瀬城は、現在の撫川城の範囲も含んでいたと言われている。 |
![]() 城址遠望 |
![]() 水路 |
![]() 城址水濠と石垣 |
![]() 水路 |
![]() 庭瀬城址 |
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![]() 城址水濠 |
![]() 庭瀬城址碑@ |
![]() 庭瀬城址碑A |
![]() 水濠 |
![]() 城址水濠と石垣 |
![]() 城址水濠と石垣 |
![]() 水路 |
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