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| 所在地 | 岡山県岡山市丸の内 |
| 交通機関 | JR岡山駅下車 市電 城下下車 徒歩10分 |
| 別 名 | 烏城 |
| 略 歴 |
南北朝期、正平年間(1346〜1369)に名和氏一族の上神高直によって築かれた。その後金光宗高が居城した。 戦国期に入ると、宇喜多直家が備前地方を統合し、天正元(1573)年に岡山城を現在残る規模まで拡張・整備した。 宇喜多直家死後、嗣子秀家は羽柴秀吉の娘なっていた豪姫と結婚し、豊臣一族としての待遇を受け、備前52万石五大老の地位まで上り詰めた。 秀吉の死後、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦で西軍に味方して敗れ、八丈島に配流となった。 替わって筑前名島城から岡山に入ったのは、関ヶ原合戦で西軍から東軍に寝返り、東軍勝利に功のあった小早川秀秋であった。 しかし、2年後には発狂して死亡したため小早川家は断絶した。 替わって慶長8(1603)年播磨姫路城の池田輝政の二男・忠継が28万石で入封した。 元和元(1615)年、忠継が嗣子無く没したため、弟の淡路由良城から、池田忠雄が31万5千石で入封した。 寛永9(1632)年、2代光仲が幼少であったため、因幡鳥取城から池田光政が31万5千石で入封、以後10代に渡り岡山の地を治め、明治維新に至った。 |
| 現 況 |
現在、城址は烏城公園となり、本丸跡がよく残っている。 戦争によって天守・石山門など多くの建物を失ったが、月見櫓・西手櫓など現存しているものもある。 また、戦後天守・不明門・廊下門など、本丸の建物が再建されている。 |
![]() 舂屋櫓櫓台 石垣 |
![]() 鉄門虎口 |
![]() 鉄門跡 |
![]() 二之丸大手門 付近櫓台 |
![]() 二之丸大手門 付近櫓台 |
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