帝國博物学協会
美濃國
船田城
 所在地 岐阜県岐阜市水主町1
 交通機関 JR東海道線 岐阜駅下車 岐阜バス 茜部本郷下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 船田城の築城年代は不明だが、美濃守護である土岐氏の居城、川手城に程近く、守護代斎藤妙椿の家臣石丸利光が城主であった。
文明12(1480)年、妙椿が70歳で没すると、斎藤家の家督は妙椿の子利国(妙純)に継がれた。
守護土岐成頼には、嫡男政房がいたが、愛妾に九郎元頼が生まれると、政房を廃して元頼に家督を継がせたくなり守護代利国と対立した。
利光は、成頼に味方し、明応3(1494)年、利国暗殺を企てたが失敗、成頼の仲介で和睦した。
翌明応4年、利国は居城加納城の防備を厳重にすると共に、弟利安・利綱・村山利重等を正法寺に布陣させ、西尾直教を安養寺に入れて船田城の利光に備えた。
一方の石丸勢は、利光の弟秀道が西方寺に砦を構え、子利元は正法寺付近で斎藤勢と対陣、家臣杉山氏は市場に陣を構えて備えた。
    6月、利光は成頼の子元頼を主将して加納城に籠る利国を攻撃したが、斎藤軍の反撃に総崩れとなり、船田城に火を掛けて近江の六角氏を頼って退転した。
この合戦を「船田合戦」と称している。この後、石丸利光は、近江の六角勢を味方につけて捲土重来を計るが、斎藤方に撃滅され自害して果てているため、船田城がどのような運命を辿ったかは不明である。
 現  況 城址は水主町1丁目付近と言われているが、明確な城址遺構は残されていない。
水主町の民家が集まった集落付近が、周囲の田より微高地になっていることから、ここに城があったと考えるのが妥当であろう。
微高地東側と道路に挟まれた田畑が、何となく水濠跡のように見えるのは、気の所為かもしれない。

城址付近

堀跡の様にも…

見えなくはない

田畑

城址付近

この付近が最高地
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