帝國博物学協会
美濃國
岐阜城
 所在地 岐阜県岐阜市金華山
 交通機関 JR岐阜駅下車 バス岐阜公園下車 徒歩5分
 別  名 稲葉山城・井ノ口城
 略  歴 建仁年間(1201頃)、二階堂行政が現在の金華山の地に築城したのが後の岐阜城のはじまりである。
以後、一族の佐藤朝光・伊賀光宗・稲葉光資賀は入り、光資の頃に稲葉山城と称するようになった。
応永19(1412)年、守護土岐氏の執権、斎藤利永が修築して入城、以来斎藤氏と一族長井氏が在城した。
享禄3(1530)年、斎藤道三が、守護土岐頼芸を追い美濃を手に入れた。道三は稲葉山城を修築し、本拠と定めた。
天文17(1548)年、道三は家督を長子義龍に譲り鷺山城に退いたが、弘治2(1556)年、義龍と争い敗死した。
その後龍興が継いだが、永禄10(1567)年には、織田信長により攻略された。信長は、岐阜城と改称し小牧山城から本拠を岐阜城へ移した。
以後、本拠を安土城に移す天正4(1576)年までの9年間、信長の本拠地となり、現在見られる遺構が整備された。
信長以降、長子信忠・三男信孝・池田元助・輝政・羽柴秀勝・信長の孫織田秀信と城主は変遷する。
秀信の時、関ヶ原の戦いで西軍に属し、東軍福島正則・池田輝政などの攻撃を受け落城した。翌慶長6(1601)年、岐阜城は廃城になり主な建物は加納城へ移築された。
 現  況 城址は岐阜公園・金華山として整備され、麓の千畳敷から山頂までロープウエイが設置されている。
麓の千畳敷には信長居館の石垣・土塁が発掘・整備されている。また、山頂部分の本丸には模擬天守が築かれ、曲輪跡や石垣・土塁・本丸井戸などが残っている。

千畳敷居館跡

千畳敷居館
虎口石塁

千畳敷居館
土塁

千畳敷居館
虎口土塁

千畳敷居館
虎口土塁

千畳敷居館跡
標柱

七曲登城口
(大手口)

天下第一の門

大手口土塁

二之丸門跡

模擬天守

本丸石垣

天守台石垣

水之手口

本丸井戸

七間櫓跡
と七間土塀

百曲登城口

模擬天守遠望
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