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| 所在地 | 岐阜県郡上郡八幡町桜町 |
| 交通機関 | 長良川鉄道 郡上八幡駅下車 徒歩30分 |
| 別 名 | 積翠城 |
| 略 歴 |
永禄2(1559)年、遠藤盛数が東殿山城主東常慶を攻め攻略した。遠藤盛数ははじめ東殿山城に入ったが新たに八幡山に城を築いた。これが郡上八幡城の始まりである。 その嫡男慶盛は、織田信孝・柴田勝家方に立って豊臣秀吉に反抗したため、賤ヶ岳の合戦後加茂郡小原に減封された。 天正16(1588)年、郡上八幡城には美濃曾根城から稲葉貞通が入城した。貞通は山頂に天守を造り、総石垣造りとしている。 慶長5(1600)年、関ケ原の戦いでは、稲葉氏は当初西軍に属して郡上八幡城に籠城したが、東軍の遠藤慶隆、金森可重らに攻撃されて落城した。 貞通は、その後加藤貞泰隊に従って関ヶ原合戦に従い、戦功を挙げて、豊後臼杵城に転封となり、遠藤慶隆が城主として返り咲いた。 遠藤氏は5代常久の時、元禄6(1693)年に幼少で死去して嗣子無く改易となった。 替わって常陸笠間城から井上正任が入城した。井上氏は2代正岑の時、元禄10(1697)年に丹波亀山城に転封となった。 その後郡上八幡城に入城した、のは出羽上山城から入封した金森頼時であった。 金森氏は2代頼錦の時に郡上一揆が発生したため、藩政宜しからずと宝暦8(1758)年に改易となった。 替わって丹後宮津城から青山幸道が入封し、以後青山氏のもとで明冶維新を迎えた。 |
| 現 況 |
城址には昭和8(1933)年に木造の模擬天守・隅櫓などが建てられて資料館として使用されている。 山頂部まで九十九折の自動車道路が通じているが、駐車場があまり広くないので、繁忙期(郡上踊りの時期)に車での登城は避けたほうが無難である。 山麓部の居館については、一部石垣が残されているものの、大方は残念ながら破壊されてしまっている。 |
![]() 山麓屋形石垣 |
![]() 山麓屋形石垣 |
![]() 大手門跡 |
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