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| 所在地 | 岐阜県羽島市竹鼻町丸の内3 |
| 交通機関 | 名鉄竹鼻線 羽島市役所前下車 徒歩5分 |
| 別 名 | 竹ヶ鼻城 |
| 略 歴 |
応仁年間、竹腰伊豆守尚隆が築城したと「美濃古城史」に記されている。 天正9(1581)年、城主不破源六広綱が荒廃していた竹鼻城を拡大すると共に、城の鬼門に八剣社を遷座し、菩提所として本覚寺を創建した。 天正12(1584)年、小牧長久手の合戦では、不破氏は織田・徳川連合軍に与した。羽柴秀吉軍は、竹鼻城の地勢から水攻めを展開した。 不破氏は1ヶ月の間籠城したが、遂に開城するに至った。 戦後、一時一柳直末が城主として入城している。 文禄元(1592)年織田信秀が岐阜13万石の領主として岐阜城に入城すると、竹鼻城には家臣杉浦五左衛門重勝が入城した。 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦の前哨戦で、竹鼻城は福島正則の攻撃を受けた。 この時、二之丸・三之丸に配備されていた、毛利広盛らが重勝に無断で降伏したため、竹鼻城は落城し、重勝は自刃した。 戦後、秀信が改易となったため、竹鼻城は廃城となった。 |
| 現 況 |
城址は竹鼻町丸の内3丁目番地付近で、以前は同地に城址碑と案内板が立てられていたが、現在は竹鼻町2624番地の郷土資料館前に移されている。 案内板にはこの地に移した理由がクドクドと書かれているが、「口承や地形、文献から推定した」のは旧地であることが明快に記載されている。 その跡に記されている「新説が出され」云々や「後の研究の進展に期待した」云々などは、どう見ても言い訳に過ぎないであろう。 私が付近を歩いた限り、旧地の方が周囲を泥田に囲まれた微高地であることから考えても、立地としては妥当であると思われる。 むしろ、付近の方が述べた「城跡に建物を建てた際に、城址碑を撤去してしまってわやにした」という一言が、その時の状況を的確に話されているという印象を受けた。 |
![]() 城址碑と案内板 |
![]() 案内板 |
![]() 旧城址 |
![]() 旧城址 |
![]() 旧城址 |
![]() 竹鼻城址 |
![]() 竹鼻城址西の 蓮田 |
![]() 竹鼻城址 |
![]() 竹鼻城址 |
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