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| 所在地 | 岐阜県各務原市鵜沼南町 |
| 交通機関 | 名鉄犬山線 新鵜沼駅下車 徒歩5分 |
| 別 名 | 宇留馬城・鵜沼城 |
| 略 歴 |
鵜沼城は、永享年(1429〜1441)間、大沢薩摩守治利によって築城されたと言われているが、明確ではない。 天文21(1552)年、生駒道寿が鵜沼城を占拠したが、大沢和泉守正信は、斎藤道三の支援を得て城を奪回した。 永禄5(1562)年、木下藤吉郎が攻め寄せると、正信は内野合戦で敗れて自刃、鵜沼城は落城したと伝わっている。 翌年には大沢治郎左衛門正秀、大沢主水基康父子が鵜沼城を回復した。 永禄7(1564)年、犬山城の織田信清を滅ぼした織田信長は、木下藤吉郎に伊木山城・宇留間城の攻略を命じた。 藤吉郎は、攻略の拠点を松倉城に定めると、大沢治郎左衛門、大沢主水親子の籠る鵜沼城に単身乗り込み、父子の説得を試みた。 藤吉郎の説得に助命を条件に説得に応じたが、藤吉郎が人質となって信長へ使者を送った。 信長は一旦は治郎左衛門の死を命じたが、坪内利定が生駒八右衛門家長に信長の勘気を解くように求めて、ようやく許されて宇留間城は開城され、大沢父子は、藤吉郎の家臣となった。 その後宇留間城は、犬山城に入った池田恒興の持ち城となった。 天正10(1582)年、犬山城が清洲城の織田信雄家臣、中川定成に与えられると、宇留間城もその揮下に入った。 天正12(1584)年、小牧・長久手合戦に先立つ戦いで、池田恒興が宇留間城に入城、ここを足掛かりに犬山城を攻略した。 宇留間城が廃されたのは、この合戦の後の事であった。 |
| 現 況 |
城址は犬山橋の袂にある小高い岩山の上にあった。 以前は城山荘という旅館(料亭)があったが、火災で焼失して以降閉鎖されていた。 2002年、廃墟は撤去されたが、その後発生した崩落などで危険なため、立ち入り禁止となっている。 山頂には大沢氏累代の墓があると言われているが、詳細は不明である。 |
![]() 犬山橋と城址 |
![]() 城址(西側から) |
![]() 城址(北側から) |
![]() 北西側山麓 |
![]() 城址入口 |
![]() 北東側山麓 |
![]() 城址(東側から) |
![]() 犬山城より望む |
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