帝國博物学協会
武蔵國
粟原城
 所在地 埼玉県久喜市鷲宮町鷲宮
 交通機関 東武伊勢崎線 鷲宮駅下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 鷲宮神社の社領の領主の居館として築かれたと思われる。当時の城主は大内氏と言われている
永禄4(1561)年、上杉謙信の小田原城攻城で、粟原城主細萱光仲は城兵70騎と共に小田原城に籠城した。
その帰途、羽生城主木戸宮内少輔によって、粟原城は焼討ちにあっている。
天正18(1590)年、小田原北条氏が滅亡した後、関東に入封した徳川家康は、鷲宮神社に社領400石を与え保護した。その頃廃城となったのであろう。
 現  況 城址は鷲宮神社から東武伊勢崎線の線路を挟んだ対面にあたと言われている。
城址にはと思われるあたりは、周囲より一段と高くなっており、これが土塁と思われる。
残念ながら、城址を明瞭に示す案内板や碑はないが、この比高1メートルほどの土塁址を見るだけでも価値はあると思われる。

城址土塁

城址土塁

土塁と郭跡

本郭跡

城址に建つ
お堂

城址土塁?

櫓台か

城址郭跡

土塁

土塁

鷲宮神社遠望

鷲宮神社鳥居

八幡太郎義家
駒つなぎの桜
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