帝國博物学協会
武蔵國
羽生城
 所在地 埼玉県羽生市東2〜5
 交通機関 東武伊勢崎線 羽生駅下車 徒歩20分
 別  名 羽生古城
 略  歴 羽生城の築城年代ははっきりしないが、天文の中頃、広田直繁により築城されたと想定されている。
天文23(1554)年になると、北武蔵に侵攻してきた北条氏が羽生城を落とし城代として中条出羽守が入城したが、永禄3(1560)年、上杉謙信によって攻略されると、あらためて広田直繁・木戸忠朝に与えられた。
翌永禄4(1561)年、木戸忠朝は皿尾城に移り、広田直繁が羽生城を守った。
元亀元(1570)年、広田直繁は館林城に移され、木戸氏が再度入城した。
天正2(1574)年、上杉謙信は木戸氏を上州膳城に移し、羽生城を破却して撤収した。
翌天正3(1575)年、忍城の成田氏長が羽生城を接収・再建し、家臣の成田長親が入城した。
天正18(1590)年、小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入封すると、羽生城には大久保忠隣が入城した。
慶長19(1614)年、大久保忠隣は改易となり、羽生は天領となったため、羽生城は廃城となり破却された。
 現  況 城址本丸は高山稲荷神社付近であるが、遺構らしきものは残されていない。付近の幼稚園の園内が、周囲に比べて若干低くなっているのが、堀の跡かと想定われる。
城址碑は天神曲輪跡の天満宮に立っている。

羽生城址碑

天神曲輪跡の
天満宮

天満宮境内
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