帝國博物学協会
地図
武蔵國
羽尾城
 所在地 埼玉県比企郡滑川町羽尾一区
 交通機関 東武東上線 森林公園駅下車 徒歩15分
 別  名 宮前城
 略  歴 『新編武蔵国風土記稿』に「館蹟村の巽の方にあり、広さ綾に3反許、上田安独斎が家人、山崎若狭守が住せし所と云」とある。
また、『滑川村誌』には、「築城は元亀3(1572)年、松山城の出城として、山崎若狭守が普講奉行となって当り、山田伊賀守城主となる。天正3(1578)年、伊賀守宗道は没し、山崎若狭守が城主となった。同18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めにより、徳川方の前田・上杉・真田連合軍が来攻、羽尾城は前田利家の軍に包囲され、激戦数10日、戦闘熾烈の攻防を繰り返したが、4月上旬散る桜と共に陥城した。」と記されている。
 現  況 城は羽尾打越・金光地集会所の裏山にあり、方形を基本とした主郭部と腰郭状の郭からなっている。
主郭部西側は良く整備されており、比高二重土塁や空掘など、残された遺構が非常に良好な状態で確認する事ができる。
一方、東側半分は猛烈な藪に覆われており、昼なお暗い状況のため、流石に突入できる状態ではなかった。
大手口は台地下市野川方向に向けられており、二つの腰郭間の道を抜けた位置に存在している。
この腰郭には、井戸も残されているが、民間の宅地になっており、犬が吠えているので、近づく事すらできなかった。

羽尾城北側空掘

北西側比高
二重土塁

北西側比高
二重土塁

北側空掘

西側土塁

西側空掘

西側土塁
と空掘り

主郭内部

内側から見た
北西角土塁

北側空掘

主郭東側北面
小口

主郭東側北面
土塁

主郭東側北面
土塁と空掘

主郭東側北面
土塁と空掘
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