帝國博物学協会
武蔵國
本庄城
 所在地 埼玉県本庄市本庄3
 交通機関 JR本庄駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 弘治2(1556)年、本庄宮内少輔実忠により築城されたという。
本庄氏は山内上杉氏に属したが、永禄10(1567)年、北条氏が進出すると攻落とされ、その後本庄氏は北条氏に属した。
天正18(1590)年、小田原戦役により落城、本庄氏は滅亡する。
徳川家康の関東入封に伴い、信濃松尾から小笠原信嶺が1万石で入城した。慶長17年(1612)、小笠原氏二代信之が下総古河城へ転封になり廃城となった。
 現  況 現在城址のほとんどは私有地となっており、住宅地と化している。
城址には城山稲荷神社が建立されており、その周囲に土塁が残されている。

2004/10/30加筆

城址は台地先端に立地しており、3乃至4郭程度の連郭式縄張りの城郭だったようである。
中田正光氏の「埼玉の古城址」で主郭とされる郭は、既に民間の宅地となって破壊されている。
外郭は、城山稲荷西側から市役所付近辺りまで広がっており、市役所東フェンスの外や、城址案内板の裏に土塁が残されている。
詰郭は、現在八坂神社の境内となっている。
先述の「埼玉の古城址」では、住宅地の部分を主郭としているが、私見ではあるが、本来の主郭は台地先端のこの詰郭ではなかったかと思われてならない。
戦国期が終わり小笠原氏が入城すると、比較的広い主郭部が必要となり、「埼玉の古城址」で記された部分が主郭となったのではないかと思われる。
また、八坂神社は、本庄城の鬼門除けとして勧請されたと考えると、合点がいくところである。

本庄城址碑

城山稲荷参道

城址背後

城山稲荷付近
の土塁

城山稲荷と
付近の土塁

外郭部
  2004/10/30追加

市役所横の土塁

市役所横の土塁

市役所横の土塁

城山稲荷背後
の切岸

本庄城外郭部

本庄城案内板

案内板背後の
土塁

案内板背後の
土塁

詰郭遠望

詰郭(八坂神社)

詰郭(八坂神社)

詰郭切岸
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