帝國博物学協会
武蔵國
五十子城
 所在地 埼玉県本庄市東五十子
 交通機関 JR高崎線 本庄駅下車 徒歩30分
 別  名 五十子陣
 略  歴 長禄3(1459)年頃、対古河公方の拠点として上杉方によって築かれたのがその始まりと言われる。
寛正6(1465)年、関東管領上杉房顕は古河公方足利成氏と対峙したが、文正元(1466)年2月にはこの陣中で陣没している。
文明3(1471)年、山内上杉顕定・長尾景信が古河城を攻めた。翌4年には足利成氏は、逆襲に転じて五十子城を攻撃した。これがいわゆる五十子合戦と呼ばれている戦いである。
文明8(1476)年、太田道灌の留守を狙って長尾景春が叛乱を起こした。景春は山内上杉顕定・扇谷上杉定正の拠る五十子城を攻撃、翌文明9(1477)年正月にも再度五十子城を攻撃すると上杉方は支えきれず上野国に退却した。
 現  況 現在、城址は国道17号線に分断されており、原型を留めていない。
城址は本庄から続く台地の突端に位置しており、三方を3〜5メートルの崖地で囲まれている。
武蔵志の縄張り図によると、台地突端に曲輪があり、中央に本丸がL字型位置している。現在城山館の建っている場所が突端の曲輪で公園のある場所が本丸に当たると思われる。
重要な城址であるにもかかわらず、この城址にはそれを示す看板も城址碑もないのは残念である。かろうじて、城山館前の築山の本庄カルタの碑が、城址である事を示しているに過ぎない。

女堀川

本丸南端付近

城山館
(笹曲輪)

本庄カルタ碑

城山館
(笹曲輪)

本丸下切岸

本丸の公園

本丸の公園

本丸・二之丸
間の空掘

城址遠望
(東面)

城址遠望
(北面本丸付近)

城址遠望
(東面笹曲輪
付近)
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