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| 所在地 | 埼玉県さいたま市中央区鈴谷3〜8 |
| 交通機関 | JR埼京線 南与野駅下車 徒歩10分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
由来・沿革などは残っていないが、太田氏房の家臣で与野郷の地頭であった、立石甚右衛門の館であったと想定されている。 天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原の陣で、太田氏が没落すると、この館も打ち捨てられたと思われる。 |
| 現 況 |
館址は与野市街地である鈴谷一帯に広がっていたと考えられる。 市街化前の発掘調査では、一部二重の空掘・門跡の柱穴、その他掘建て柱の建物や穴倉などが発見されている。 館の規模は、内堀東西160m、南北370m、外堀に至っては、東西200m、南北760mにも及ぶ巨大な館(というより、輪郭式の平地城と考えた方が良いのかもしれない)であった。 現在ご多分に漏れず、遺構を地表面から探る事はできない。 なお、地図には発見された空掘を、青い線で記しています(断片的に発掘されているため、推定線も含みます。) |
![]() 今宮館外堀跡 |
![]() 今宮館外堀跡 |
![]() 今宮館内堀跡 南端角 |
![]() 今宮館外堀跡 北端角 |
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