帝國博物学協会
武蔵國
石戸城
 所在地 埼玉県北本市石戸宿
 交通機関 JR高崎線 北本駅下車 川越観光バス北里研究所メディカルセンター下車 徒歩10分
 別  名 天神山城
 略  歴 石戸城は松山城岩付城のつなぎの城として、太田資長によって築かれた。
武蔵風土記稿には、「扇谷上杉氏の家人八右衛門と云人居りし所といへり」と記されている。
大永5(1525)年、北条氏綱が岩付城を攻め陥落させると、太田資頼は石戸城へ撤退している。
永禄5(1562)年、北条氏邦がこの石戸城を攻め陥落させているが、その際上杉氏の属将毛利丹後守が固く守っていて簡単に落とすことができなかったと言われている。
北条氏の支配下では依田大膳亮が城主となったが、天正18(1590年)の小田原の陣後廃城となったと思われる。
 現  況 城址は天神下運動公園の南側にあたり、その中央を道路が貫いている。
外郭部の堀や二郭・本郭の土塁が遺構とし残されているが、気をつけてみないと非常にわかりにくい。
城址には民家が郭内に点在しており、特にそれを示す看板等も見当たらない。せっかくの遺構なのに非常に残念である。
2002/11/04加筆
「看板がない」と書いたが、かつては案内板があったようで、八坂平七郎信康殿より提供いただきましたので、掲載いたしました。

二郭北側土塁

外郭部から二郭
を望む

外郭部空掘

外郭部空掘

外郭部空掘

外郭部空掘

北に佇む沼地

二郭土塁
(北側)

二郭土塁
(北側)

二郭内

二郭土塁
(南側)

本丸小口土塁

かつてあった案内板
提供:八坂平七郎信康殿
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