帝國博物学協会
武蔵國
寿能城
 所在地 埼玉県さいたま市大宮区寿能町
 交通機関 東武野田線大宮公園駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 永禄3年(1560年)、岩付城主太田三楽斎の四男、潮田出羽守資正によって岩付城の出城として築かれた。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原の陣の際寿能城もその攻略対象となり、岩付城と共に落城、潮田資忠と資勝父子は小田原城にて戦死した。
 現  況 現在城址一帯は住宅地となり、往時の面影を探すことができないが、本丸跡が寿能公園として整備されている。
寿能公園には子孫によって作られた、資忠の墓碑が祭られている。
(2002.1.27加筆)県道沿いの交番横に、寿能城址碑が建っている。
(2008.3.10加筆)大宮公園内には、唯一の遺構として、出丸の土塁・空掘跡が残されているが、表示も無いためほとんど知られていない。
本丸 寿能公園付近が本丸跡といわれており、往時は舌状台地の突端にあったと思われる。

寿能城址碑

寿能城本丸址

寿能城址碑

寿能城本丸址

潮田資忠墓碑

出丸址と結ぶ
潮田橋
2008/3/10更新 2000年当時と同アングルもありますので、違いを確認してみてください。

寿能城址碑

寿能城址碑付近

寿能公園

寿能城本丸跡

潮田資忠墓碑

寿能城址碑

寿能城本丸

寿能公園北側

寿能公園北側

寿能城本丸跡
出丸 大宮第二公園内にあり、寿能城の遺構として唯一残されたものである。
しかしながら、それを示す案内板など何ら設置されておらず、是非何らかの表示を行って欲しいものである。

出丸南側土塁

出丸

出丸南側土塁

出丸西側土塁
と空堀跡

出丸西側土塁
と空堀跡

出丸南西側土塁
と空堀跡

出丸南西側土塁
と空堀跡

出丸西側土塁
と空堀跡
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