帝國博物学協会
神流川古戦場
 所在地 埼玉県児玉郡上里町勅使河原/群馬県多野郡新町
 交通機関 JR高崎線 新町駅下車 徒歩15分
 略  歴 天正10(1582)年6月、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた。
関東方面軍司令官として厩橋城に駐屯していた信長方の武将滝川一益は、動揺する上野諸将を集めると、本能寺の変の事態を報せるた。
一方小田原北条氏は、信長の死を知ると、これを好機と捉えて武蔵北部から上野に進出した。
滝川一益は、上野諸将を纏めて金窪城で北条軍を迎え撃った。
北条氏は5万の軍勢で金窪城を包囲、一方滝川一益は1万5千の軍勢でこれを迎え撃ったが、奮闘虚しく金窪城は落城した。
一益軍は三千七百六十もの軍勢を失い敗れた。これによって関東から本貫の伊勢へ退却していった。その後、上野も北条氏に勢力圏に組み込まれることとなり、一益は、織田家中における地位を失った。
 現  況 神流川古戦場跡は、群馬県から埼玉県にかけての神流川流域一帯で、国道17号線脇に古戦場跡の碑が建てられている。
碑の脇には、案内の看板と、供養のための首塚・胴塚が残されている。

神流川古戦場碑

神流川古戦場碑

首塚・胴塚
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