帝國博物学協会
武蔵國
葛西城
 所在地 東京都葛飾区青戸7
 交通機関 京成電鉄 本線 青砥駅下車 徒歩10分
 別  名 青戸御殿・青砥藤綱城
 略  歴 葛西城の創建時期はわかっていないが、15世紀になって、関東管領山内上杉氏の目代、大石氏の勢力がこの地に及んだ頃に築かれたと考えられている。
天文7(1538)年、北条氏綱は大石氏の守る葛西城を落とし、遠山氏などが在番となっている。
その後、太田氏によって乗っ取られているが、後に本田正勝が取り返し、在番となっている
天正18(1590)年の小田原の陣の後、関東に入封した徳川家康は、この地に鷹狩時の休憩所として青戸御殿を造営したが、明暦の大火で失われた江戸城に御殿を移したため、明暦3(1657)に廃された。
なお、鎌倉期の名判官、青砥藤綱の館がこの地にあったと伝わっているが、同一のものであるかは不明である。
 現  況 城址は環状七号線を挟むように葛西城址公園、御殿山公園に分かれている。
城址公園には何の案内板もないが、反対の御殿山公園に城址案内板と、「青砥藤綱城址」碑、が建てられている。
環状七号線建設時の発掘で、城の規模はほぼ判明しているが、残念ながら地表面から遺構は確認できない。

葛西城址案内板

青砥藤綱城址碑
付近

青砥藤綱城址碑

青砥遺跡復興の碑

御殿山公園

葛西城址公園

城址公園内
Top

【運営会社「パラダイムシフト」サービス】

無料ホームページ   携帯ホームページ   無料ホームページ作成   レンタルサーバー   ブログ   ホテル   アンドロイド   評判   Timesell   格安国際電話   宿泊料金比較