帝國博物学協会
武蔵國
騎西城
 所在地 埼玉県加須市騎西町根古屋
 交通機関 東武伊勢崎線加須駅下車 バス 福祉センター 徒歩5分
 別  名 私市城・寺西城・根小屋城・山根城
 略  歴 創建はいつ、誰の手によるものか不明である。康正元(1455)年、庁鼻和上杉氏の支城であった騎西城を、古河公方足利成氏が攻め落としたのが史上の初見となる。
騎西城には佐々木近江守が入城して守将として入城している。
騎西城は上杉・古河公方両陣営の中間点であったため、両陣営の攻撃を受けていたが、小田原北条氏が北武蔵に進出すると、今度は北条・上杉両陣営の中間点として重要度が増した。
この頃騎西城には小田顕家が種垂城から入城していたと言われている。顕家は忍城の成田親泰の子を養子として迎えた。
永禄3(1560)年、関東管領上杉憲政は、管領職と上杉の家督を越後の長尾景虎に譲り、景虎は上杉政虎と名乗った。
同年、政虎は初の越山し、小田原城に北条氏を攻囲し、鎌倉鶴岡八幡宮で管領に就任した。
その際、忍城主成田長泰は辱めを受けたために、上杉氏を離反して、再度北条氏に属した。
騎西城の小田氏も成田氏に属してして行動したため、永禄6(1563)年、再度越山した謙信によって騎西城は攻撃を受けて落城した。
徳川家康が関東に入国した天正18(1590)年、駿河沼津城から松平(松井)康重が2万石で入城した。
慶長6(1601)年、康重は常陸笠間城3万石に加増転封となり、替わって大久保忠常が2万石で入封した。
寛永9(1632)年、大久保氏2代忠職が7万石で美濃加納城へ転封となると、騎西城は廃城となった。
 現  況 現在城址には天神曲輪の土塁が残されているのみで、城址のほとんどは住宅地と化している。
城址には、模擬天守が建てられ、資料館として利用されている。

2003年1月1日加筆

前玉神社付近が往時の姿を一番伝えており、神社周囲の一段低くなった部分が堀の跡である事は明白である。
また、天神曲輪付近では発掘もされており、畝掘や障子掘等が発見されている。

騎西城(私市城)
址碑

天神曲輪
土塁

天神曲輪址

障子堀跡

模擬天守

御蔵屋敷跡

的場跡
2003/1/1追加

大手と前玉神社
間の堀跡

土塁

大手曲輪堀跡

大手と前玉神社
間の堀跡

土塁

前玉神社遠望

大手門跡

天神曲輪土塁

天神曲輪土塁

模擬天守

天神曲輪
発掘現場
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