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| 所在地 | 埼玉県さいたま市南区太田窪4 |
| 交通機関 | JR北浦和駅下車 国際興業バス 太田窪4下車 徒歩5分 | 別 名 | - |
| 略 歴 |
源平の頃に佐々木盛綱が、軍兵催促のために拠ったといわれている。 天正年中に、下総の千葉国胤が太田窪本村に陣屋を構え、家臣の木内右衛門を入れて守らせたと伝わっている。 また、「小田原衆所領役帳」にも、千葉氏がこの地に所領を持っていたと記されている。 木内氏は、館の鬼門に熊野菩薩(熊野神社)、風門に千葉氏の守護神妙見菩薩(千葉神社)を祀った。 その後、太田窪の主城は領ヶ谷城に移った。 |
| 現 況 |
木内氏館とは言うものの、往時の規模は単郭の館規模ではなく、複郭の城郭規模のものであったと想像される。 主郭は、浦和市史に記されているように千葉氏宅裏手の台地上にあたる。 現在でも千葉氏宅の裏手には土塁が残されている。 その土塁脇の道路を西側に下った台地下右手にも、高さ2メートル程の土塁が残されている。 千葉氏宅から台地下の土塁へ向かう途中、右手に幅5メートルにも及ぶ空掘と、その空掘を挟んで曲輪跡と思われる高まりが残されている。 往時は、西側にもう少し大きい曲輪だったと思われるが、削り取られて失われているようだ。 |
![]() 台地下土塁 |
![]() 台地下土塁 |
![]() 台地下土塁 |
![]() 台地下土塁 |
![]() 木内氏館主郭部 遠望 |
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![]() 木内氏館主郭部 |
![]() 主郭部土塁 |
![]() 主郭部土塁 |
![]() 主郭部土塁 |
![]() 主郭部土塁 |
![]() 大空掘 |
![]() 大空掘 |
![]() 大空掘 |
![]() 郭跡 |
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