帝國博物学協会
武蔵國
増田氏館
 所在地 埼玉県熊谷市江南町千代
 交通機関 JR高崎線 熊谷駅下車 国際十王バス 文殊様 徒歩5分
 別  名 増田城・野原館・文殊館
 略  歴 増田四郎重富が、扇谷上杉氏に敗れて、深谷の増田氏館を追われて四ッ山城に居城した。
その後勢力を回復し、山城の四ッ山城から平地館の増田氏館を築いてこの地に移り住んだ。
文明15(1483)年、重富が館内に伽藍を築いたのが、今に残る文殊寺である。
重富は、長享元(1487)年にこの館で死去し、寺内の墓所に、塚が残っている。
 現  況 日本三大文殊の野原の文殊様こと、文殊寺が館址である。
寺内の案内板にも、「館跡を物語るかまえ堀」と寺の北側から西側にかけて良く残されている、空掘と土塁に触れられている。
北側の土塁は二重になっており、馬出状になっているが、これが馬出として築かれたものか、別の目的で後世に改変されたものかはわからない。
西側の土塁は、高さ1メートルほどあるが、城郭によく見られる叩き土居ではなく、堀の土をかき上げただけの造りであるようだ。
寺内には内堀の跡が若干残っており、二重に堀を廻らした、館であったことを窺い知る事ができる。

西側の空掘と
土塁

西側の空掘と
土塁

西側の空掘と
土塁

西側の空掘と
土塁

北側の空掘と
土塁

北側の空掘と
土塁

北側の空掘と
土塁

北側の空掘と
土塁

馬出状小郭
と空掘

馬出状小郭
と空掘

馬出状小郭と
土橋と空掘

文殊寺山門

文殊寺本堂

内空堀
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