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| 所在地 | 埼玉県比企郡吉見町南吉見 |
| 交通機関 | 東武東上線東松山駅下車 東武バス鴻巣行き 百穴前下車 徒歩10分 | 別 名 | 武州松山城 |
| 略 歴 |
武州松山城は上田氏によって築かれたとされる。天文6年(1537)、河越城を北条氏に奪われた扇谷上杉朝定の武将、難波田善銀は松山城に籠り北条軍を撃退している。 天文15年(1546)、河越夜戦で大敗した扇谷上杉軍は、松山城を明渡して岩付城まで退き、松山城は北条軍の最前衛拠点として松山衆が形成されることになる。 その後、上杉謙信・武田信玄なども含めて3者(古河公方も含めると4者)の争奪戦に晒されることとなったが、最終的には北条氏に属した上田氏に帰属することとなった。 豊臣秀吉の小田原の陣では、前田軍・上杉軍などに攻撃され、天正18年(1590)に落城している。 関東に徳川家康が入封すると、松平家広が入城するが、関ヶ原役後の慶長6(1601)年、遠州浜松城に転封となり、松山城は廃城となった。 |
| 現 況 |
現在、県指定史跡に指定された城址は、松山城址としての残されている。特に本丸周辺には、二之丸・三之丸をはじめ春日丸・笹郭・兵糧倉跡など、多くの曲輪群・空掘・土塁などが残されている。
残念ながら一部の曲輪群は、学校敷地内となって破壊されてしまっているが、比較的良好な状態で保存されているといえる。 |
![]() 春日丸・二之丸 間の空掘 |
![]() 二之丸 |
![]() 腰郭群 |
![]() 竪掘 |
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