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| 所在地 | 埼玉県越谷市北川崎〜向畑 |
| 交通機関 | 東武伊勢崎線 越谷駅下車 朝日バス 新方橋下車 徒歩25分 |
| 別 名 | 新方氏館 |
| 略 歴 |
向畑城が何時頃築城されたかわかってはいないが、文亀4(1504)年にはすでに存在していたようである。 清浄院「著聞書」によると、文亀4年、八条館(八潮市八条)の八条惟茂が新方郷の支配を企て挙兵した。 向畑の領主、新方頼希は小林郷で防戦したが敗れ討死し、新方郷は八条氏の勢力に組み込まれ、向畑城には家臣の別府三郎衛門が入城した。 永正17(1520)年、岩槻渋江寺に逃れていた、頼希の兄で清浄院の僧であった高賢上人は、新方氏旧臣の要望で兵を挙げ、別府三郎衛門の守る向畑城を急襲し、旧領を回復した。 対する八条氏は、翌永正8年に向畑城の奪回を図るも、渋江氏の援軍を得た高賢上人率いる新方勢に阻まれ、新方領から撤退した。 天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原の陣では、秀吉方に開城し、向畑城は廃城になったと思われる。 |
| 現 況 |
昭和の初期の頃までは、陣屋の堀跡と明確な遺構が残されていたようであるが、現在は堀の痕跡が残るのみである。 「埼玉の中世城館跡」の地図に記されている場所は、ほとんど畑になっていて、民家が散見される状況で、堀の痕跡はその付近にある。 「埼玉の中世城館跡」の地図に記されている場所の南端に、少し小高くなっている場所があり、折も見られることから、郭の跡ではないかと考えられるが、それを明確に示す根拠はない。 |
![]() 郭折の部分? |
![]() 郭の端? |
![]() 郭折の部分? |
![]() 城址付近 |
![]() 城址付近 |
![]() 堀の痕跡 |
![]() 堀の痕跡 |
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