帝國博物学協会
武蔵國
難波田城
 所在地 埼玉県富士見市下南畑蓮田598
 交通機関 東武東上線鶴瀬駅下車 国際興業バス大宮行 南畑郵便局下車 徒歩30分
 別  名 -
 略  歴 難波田城は、武蔵七党の村山党、金子小太郎高範が承久の乱で討ち死にした恩賞として、幕府からその子孫に難波田の地が与えられたことに始まる。
その子孫は「難波田氏」を称し、南北朝時代に羽祢蔵合戦で高麗経澄と戦って負けたがその勢力は維持され、戦国時代になると難波田弾正善銀が扇谷上杉氏の重臣として活躍した。
天文15年(1546)の河越夜戦では北条氏と戦い善銀が討ち死にすると、難波田氏は北条氏の家臣となり、難波田城は松山城の支城となり、上田氏の指揮下に入った。
豊臣秀吉の小田原攻め後入封した徳川家康は難波田城を廃城とした。
江戸時代には、城址に修験寺院の十玉院が建てられた。
明治になると、政府の修験禁止令で十玉院が廃された。
 現  況 現在、一郭は民家が建っているが、二郭・三郭の一部が難波田城公園として整備・復元されている。

難波田氏館址碑

一郭土塁

角馬出
と水濠

二郭小口

二郭と
角馬出

一郭跡

大手門

二郭

搦手口に建つ
館址の碑
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