帝國博物学協会
武蔵國
小倉城
 所在地 埼玉県比企郡ときがわ町田黒字小倉
 交通機関 東武東上線 武蔵嵐山駅下車 徒歩80分
 別  名 -
 略  歴 「新編武蔵風土記稿」には、「北の方にて小名小倉の内にあり、遠山右衛門大夫光景が居城の蹟なりと云」とある。
遠山氏は後北条氏に属し、初代遠山直親は、兄康景が永禄7(1564)年の国府台合戦で討死したため、兄に代わって江戸城に入り、小倉城を子の光景に譲ったと伝えられている。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原の陣では、松山城と共に落城または降伏したようである。
 現  況 城址は槻川が小倉城のある尾根筋に突き当り直角に屈曲する位置にある。
城址は大福寺の裏手の尾根筋にあり、大福寺の位置が常の居館、根小屋であったと考えるのが妥当であろう。
中田正光氏の「埼玉の古城址」では、この直上の堀底道が大手道となっているので、その記述に従うが、私見としてはこのように急な道を登るのはありえないと考えている。
三郭は主郭北東にあり、虎口を北東側と南東側に開いている。
二郭は主郭西側にあり、東端に櫓台が存在する。二郭に入るには、主郭との間の堀底道側からしか入れない。
青山城方面から繋がる尾根道は、二郭東側の郭下に繋がり、二郭腰郭を通じて二郭に出る。
また、南側からの途上路も、二郭下の腰郭群に繋がっており、そこにも石積みの虎口が開いている。
主郭の南側の堀切南側の郭には、堀切を木橋で結んでいたと考えられ、橋台の土塁が存在する。
また、この郭西側に開いた虎口にも、石積みが見られる。
主郭は東側の上段と西側の下段より形成されており、西側の下段を土塁が取り巻いており、東側には土塁状のものは存在しない。
三郭からの坂虎口を抜けると。上段と南側の土塁の間の通路を通らなければならず、ここを抜けるのは、至難の業であったろう。
根小屋

小倉城登城口碑

大福寺

登城口入口
大手下虎口〜三郭

大手道

大手口下虎口

空掘

大手口下虎口
の石塁

主郭腰郭土塁

主郭腰郭

主郭腰郭

三郭虎口

三郭

三郭先端

三郭より
主郭を望む

三郭虎口
(内側)

三郭虎口土塁
(内側)

三郭虎口土塁
(外側)

三郭切岸
二 郭

二郭

二郭北側土塁

二郭南側土塁

二郭櫓台

二郭櫓台

二郭櫓台

二郭

二郭南側切岸
二郭腰郭群

二郭腰郭

小口(内側)

竪掘

土塁と横堀

横掘

二郭西側の
堀切

小口(外側)

二郭腰郭
下の郭

二郭腰郭切岸

二郭腰郭下の郭
石塁

二郭腰郭下の郭

二郭腰郭下の郭
虎口

二郭腰郭下の
平場
東側の郭〜腰郭

虎口

東側の郭腰郭

東側の郭切岸

東側の郭切岸
南側の郭

南側の郭・本郭
間の堀切

南側の郭橋台

南側の郭

南側の郭西側
の虎口石塁

南側の郭
の石塁

南側の郭腰郭
主 郭

主郭虎口

主郭土塁

主郭上段

主郭建物跡

小倉城址

小倉城址

主郭北側切岸

主郭南側土塁

大手口(内側)

南側土塁

南側の郭への
虎口(内側)

南側切岸

南側の郭への
虎口(外側)

主郭

主郭西側土塁

主郭北虎口

主郭北側切岸
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