帝國博物学協会
武蔵國
老袋城
 所在地 埼玉県川越市下老袋
 交通機関 東武東上線 川越町駅下車 東武バス老袋下車 徒歩10分
 別  名 猿尾城
 略  歴 この地は「御所」とも呼ばれており、川越夜戦の折の古河公方足利晴氏の陣所と言われている。
「新編武蔵風土記稿」には、「村の南西の方角にあり、道祖土氏の系図に、下総守が北条氏康から康の字を賜り、康成と名乗り、比企郡老袋城に住んだ。」とあるが、川越夜戦に勝利した北条氏が、この地に配下の道祖土氏を代官として、道祖土氏を送り込んだものであろう。
道祖土氏が、既にある晴氏の陣所跡を城郭として整備して居城したのは、自然の流れであろう。
元亀元(1570)年康成が没すると、その孫図書助康満が跡を継いだが、豊臣秀吉の小田原の陣で、北条氏が滅亡すると、道祖土氏も帰農し、城も廃されたようである。
 現  況 城址は下老袋の農民センター付近である。この地には、かつて玉泉寺という寺があり、この地が城址と言われていた。
玉泉寺は既に廃寺となっており、墓地のみが残されているにすぎない。
城址付近の民家は、入間川の洪水対策で高く盛った土盛の上に建てられている。
私見であるが、戦国期の頃、入間川河畔であるこの地は、要害堅固な湿地帯であったと考えられ、そう考えると、足利晴氏がこの地に陣所を構えたのは頷ける。
土地柄家を建てるなら、少しでも高い場所に建てると考えられる場所である事から考えても、現在民家のある土盛は、往時の郭跡であった可能性が高いと考えられる。
現在の付近の状況から考えると、農民センター付近の民家を主郭とし(付近の民家で一番高い)、そこから北の民家を二郭・三郭とした、群郭式の城郭であったか、館が複数並んで建っていたと考えるのが妥当であろう。
城郭図鑑老袋城の項には、民家の庭の稲荷社が望楼跡である旨が記されているが、調べ方が悪いのか、よくわからなかった。
上記内容が史実なら、益々私見に意を強くするのであるが…

老袋城址付近

玉泉寺跡

主郭(?)
東側土塁

主郭(?)
東側土塁

伝望楼跡

主郭(?)
北側水濠(?)

二郭(?)
東側土塁

二郭(?)
西側土塁

二郭(?)東側
土塁と井戸

三郭(?)
北側土塁

三郭(?)
西側土塁

三郭(?)
北側土塁

三郭(?)
北側水濠(?)
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