帝國博物学協会
武蔵國
忍城
 所在地 埼玉県行田市本丸
 交通機関 秩父鉄道行田市駅下車 徒歩15分
 別  名 亀城
 略  歴 忍城は延徳3(1491)年、当時この地方を治めていた児玉重行を攻め滅ぼした成田親秦が築城し、長秦・氏長の2代と引き継がれた。
この当時、忍城は小田原の北条氏の支城として存在しており、上杉氏により数度に渡って攻められている。
天正18(1890)年、豊臣秀吉の小田原の陣では、石田三成率いる軍により史上名高い忍城水攻めが行われたが、小田原城が落城後もしばらく持ちこたえたほどの名城であった。
徳川家康の関東入封により、松平(深溝)家忠が1万石で入城した。家康の孫、松平(東条)忠吉が元服すると、家忠は下総上代城に移り、あらためて忠吉が10万石で忍城主となった。
関ヶ原の戦い後、戦功で忠吉は尾張清洲城52万石に転封となり以降、しばらくは天領となった。
寛永10(1633)年、松平(大河内)信綱が老中に任ぜられるとともに、忍城3万石に封ぜられた。
寛永16(1639)年、島原の乱の武功によって、信綱は武蔵川越城6万石に加増移封となった。
替わって下野壬生城から阿部忠秋が5万石で入城した。
阿部氏は9代に忍藩を治め、その間に10万石に加増されるとともに、3代正武の時に城を整備し、三階櫓などを築いた。
文政5(1822)年、阿部正権は陸奥白河小峰城に転封となり、伊勢桑名城から松平(奥平)忠堯が入封した。
松平氏5代に渡って忍藩を治め、明治維新を迎えることとなった。
 現  況 現在、本丸付近が整備され、御三階・城門などが場所を移す形で復興されている。
諏訪曲輪の濠・土塁が往時の面影をとどめているのみで、城域のほとんどが市街化の波に呑み込まれて水城だった往時の面影を見ることはできない。

忍城址
復興御三階

忍城の鐘

忍城本丸の
本丸址の碑

忍城復興門

忍城本丸土塁

御三階の石垣

本丸水濠と土塁

諏訪曲輪
土塁と水濠

諏訪曲輪
土塁と水濠

諏訪曲輪址に
建つ東照宮
2002/07/14追加

本丸土塁

本丸土塁
と空掘跡

本丸土塁
と空掘跡

太鼓門跡

二之丸残土塁

成田御門跡

隠居所跡

御三階櫓跡

御三階櫓跡付近

時鐘楼跡

本丸跡

本丸土塁

忍城北谷門
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