帝國博物学協会
武蔵國
勝呂氏館
 所在地 埼玉県坂戸市石井勝呂町
 交通機関 東武東上線坂戸駅下車 市内循環バス大智寺下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 勝呂氏は武蔵七党のひとつ村山党の一族である。
鎌倉御家人勝氏は、村山党の山口兵衛尉家恒の子須黒太郎恒高を初代とし、須黒左衛門頼高、左衛門尉行直と続く。
行直の子供達である須黒兵衛太郎、須久留兵衛次郎らは承久の乱(1221)において、宇治橋合戦で活躍している。
この地にはその頃勝呂氏の何れかの者の館があったと伝わる。
 現  況 現在館址一帯は大智寺境内となっている。文殊堂の裏手からお墓のある方向に向かって、折のある空掘が残されており、お墓の前には低い土塁が何とか残っている。
文殊堂の横が少し低くなっているのも、空掘の名残かもしれない。

勝呂氏館址
大智寺山門

大智寺鐘楼

文殊堂裏の土塁

文殊堂裏の土塁

空掘

空掘

お墓の前の
土塁と空掘

お墓の前の
土塁

文殊堂横の
空堀

黒川丹波守正直の墓

(埼玉県指定旧跡)

大智寺の墓地の東側に、黒川家歴代の墓9基と共に黒川丹波守正直の墓がある。
正直は、江戸時代中期の人で、目付から長崎奉行を経て大目付となり、従五位下丹波守となった人である。


黒川丹波守墓地

丹波守五輪塔
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