帝國博物学協会
武蔵國
須賀城
 所在地 埼玉県行田市須加
 交通機関 秩父鉄道 行田市駅下車 市内循環バス 北循環 須加公民館下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 鎌倉以来、須賀氏の本拠として、この地に館が築かれたと思われる。
南北朝期には、須賀壱岐守清秀らが北朝側の足利氏の家臣となっている。
関東に応仁の乱の影響が及ぶと、永享12(1440)年、永享の乱で滅んだ関東公方足利持氏の外戚、一色伊予守が武州北一揆を味方にして須賀土佐入道が守る須賀城を攻め、焼き払っている。
大永12(1522)年以降、古河公方足利氏と北条氏の間で度々争奪戦が発生していたが、天正18(1590)年、小田原の陣で豊臣方に開城され廃城となった。
 現  況 周囲の状況から見ても、城址碑の建っている場所が城址ではなく、須加小学校が建っているあたりが城址と言われている。
城址には明確な遺構を見ることができないが、切岸とも思われるような崖地が小学校下に残されている。

須加城址碑

長光寺山門

須賀城切岸

須賀城址に建つ
須加小学校

須賀城切岸
Top