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| 所在地 | 埼玉県東松山市高坂字高済寺 |
| 交通機関 | 東武東上線 高坂駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 加賀爪氏陣屋 |
| 略 歴 |
高坂刑部の館址と伝わるが、詳細は不明である。 応安元(1368)年、高坂氏は河越氏と共に平一揆に荷担し、足利氏満に背き敗北し、比企郡戸森郷の領地を失い没落した。 小田原の陣の後、徳川家康が関東に入ると、この地は加賀爪氏が知行する事となり、加賀爪政尚が陣屋を構えた。 加賀爪氏は、代々駿河の今川氏に仕えていたが、今川氏滅亡後家康に仕え、政定のとき名字を加賀爪とした。 3代直澄は書院隊長、大助番頭、寺社奉行などを歴任したが、一方で「夜更け通るは何者か、加賀爪甲斐か泥棒か」などと唄われ、乱暴旗本の代表のような存在でもあった。 4代尚清は、成瀬氏と争いを起こし、元和元(1681)年に領地没収の上お家断絶となり、陣屋は廃された。 |
| 現 況 |
館址は高済寺境内となっており、西側の土塁と空掘がよく残っている。 台地端の防御に適した位置に占地している。 土塁については、前方後円墳を改造したものであり、加賀爪氏歴代墓所のある北側が後円部にあたり、一等高くなっている。 この事から、往時はこの部分が物見的な役割を担っていたと考えられる。 |
![]() 高済寺山門 |
![]() 加賀爪氏累代 墓標柱 |
![]() 土塁南端 |
![]() 城山稲荷社 |
![]() 土塁 |
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![]() 加賀爪氏累代墓 |
![]() 加賀爪氏累代墓 前より望む |
![]() 土塁上 |
![]() 土塁北端 |
![]() 高済寺本堂 |
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![]() 堀底より土塁 を望む |
![]() 堀底より土塁 を望む |
![]() 堀底より土塁 を望む> |
![]() 堀底より土塁 を望む |
![]() 北側切岸 |
![]() 高坂館遠望 |
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