帝國博物学協会
武蔵國
四方田氏館
 所在地 埼玉県本庄市四方田
 交通機関 JR高崎線 岡部駅下車 徒歩20〜30分
 別  名 -
 略  歴 武蔵七党児玉党の三郎弘長が四方田に移り住み、四方田氏を名乗ったことに始まる。
天文年間(1532-55)には山内上杉氏に属し、北条氏が進出してからは北条氏に属した。
天正18(1590)年、小田原の陣で北条氏が滅びると、四方田氏は館を去り廃城となった。
 現  況 館址には四方田氏建立の光明寺が建っている。寺の周囲には埋められた場所も多いものの館の二重の掘が残されている。

2004年5月23日追記

館址は輪郭式の縄張りで、中心の一曲輪と東・西・北の三つの外曲輪から構成されている。
一曲輪周囲の内堀は、比較的良好に残されており、特に西側は深さ1メートル程、背後の部分は深さ3メートル程の巨大な空掘りが見事である。
西曲輪は、現在では光明寺になっており寺の裏側と道路の間が若干窪地になっており、空掘と思われる。
東曲輪・北曲輪は民家の敷地になっており、これといった遺構を見る事ができない。
なお、産泰神社は鎌倉時代に四方田五郎左衛門資綱が、館の守護神として祀ったのが始まりと言われている。
館からは北東の方角にあることから考えて、鬼門よけとして勧請されたと考えるのが適当であろう。


光明寺山門

光明寺遠望

光明寺背後の
内掘

光明寺背後の
内掘

外堀跡

外堀跡
2004年5月23日追加

内堀南面

東曲輪との
仕切の空掘

内堀東面

光明寺背後の
外掘

内堀西面

西曲輪・北曲輪
間の仕切空掘

内堀西面

中掘?

内堀北西角

内掘北面

外堀跡

産泰神社
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