帝國博物学協会
陸奥國
安倍館
 所在地 岩手県盛岡市安倍館町
 交通機関 IGR岩手銀河鉄道 青山駅下車 徒歩20分
 別  名 厨川城・嫗戸柵・安倍館遺跡・栗谷川城・栗谷川古城
 略  歴 安倍館は、陸奥の豪族安倍氏によって築かれた最北端の城柵である厨川柵とされてきた。
現在ではより広範な地域を厨川柵と定義し、安倍館を嫗戸柵とする見解が示されている。
康平5(1062)年、安倍貞任は、衣川柵から退き厨川柵と嫗戸柵に兵力を集中して守ったが遂に陥落し、安倍氏は滅亡した。
文治5(1189)年、源頼朝は奥州藤原氏討伐に戦功があった工藤行光にこの地を与えた。行光は嫗戸柵の地に安倍館を築いて居館し、以後工藤氏がこの地を治めた。
元弘末年頃になると、鎌倉幕府の執権北条氏への反感が募り、後醍醐天皇を中心とする勢力が旗を揚げた。
工藤光家は幕府方として戦ったが、宮方の南部信長に攻められて敗死、工藤氏の一族は厨川(栗谷川)氏を称して巖鷲山大権現(岩手山)の宮司として、「岩手殿」と呼ばれる事となった。
室町時代には栗谷川氏は本拠を里館へ移して居館したが、戦国期に入ると防衛力強化のために、嫗戸柵の跡に厨川(栗谷川)城を築城した。
栗谷川氏は煙山氏、葛巻氏、田頭氏など多くの分家を広げ、また、南部氏家臣の福士氏、葛西氏や斯波氏などと婚姻を重ねて南部氏の武将となっていった。
天正20(1592)年、豊臣秀吉が奥州仕置きをした際に、栗谷川城は廃城とされ破却された。
 現  況 現在残されている遺構は、厨川氏が築城した厨川城の遺構である。
連郭式の城で、遺構内には民家が建っているが、曲輪間の堀などの遺構は比較的よく残されている。
城址の道路沿いに安倍館遺跡の説明版が立てられている。
勾当館・帯曲輪の遺構は民家など市街地になり失われている。
南館 工藤氏が南部氏に敗れた後、福士慶膳が入ったとされる。

南館南面

南館南面

南館内

南館内

厨川柵跡の石碑

南館西面
中館

中館南面

中館東南角

安倍館遺跡標柱
と中館・南館間の
空掘

中館・南館間
の空掘

中館・南館間
の空掘

中館・南館間
の空掘

中館・南館間
の空掘

中館郭内

中館郭内

安倍館稲荷神社

安倍館稲荷神社

中館南西側
本丸

本丸南側

本丸南東角と
中館間の空掘

本丸東側と
空掘

安倍館遺跡
案内板

本丸東側空掘

本丸東北側空掘

土橋

本丸内西北側

本丸内西南側

本丸北側

本丸西側

本丸・北館間
の空掘

本丸北側

本丸北側

本丸・北館間
の空掘

本丸東北側
空掘

本丸北東角

本丸・北館間
の空掘
北館 工藤氏が南部氏に敗れた後、福士仲行が入ったとされる。

北館・勾当館間
の空掘

北館入口

北館内南側

北館内南側

北館・勾当館間
の空掘

北館西北側
外館

外館南側

外館

外館西北側

外館西北側
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