帝國博物学協会
大仏ヶ鼻城縄張図
陸奥國
大仏ヶ鼻城
 所在地 青森県弘前市石川
 交通機関 弘南鉄道大鰐線 石川駅下車 徒歩5分
 別  名 石川城
 略  歴 大仏ヶ鼻城は、建武元(1334)年曽我道性により築城されたとされる。その範囲は、現在の最高所を中心とした位置で、石川館と呼ばれた。
石川館と八幡館・茶臼館・乳井壬館・猿楽館・月舘・坊ノ館・寺館・高田館・茂兵衛殿館・寺山館・孫兵衛殿館・小川館の12館を併せて、石川13楯と呼ばれ、この総称が石川城であったようだ。
天文2(1533)年、南部氏中興の祖南部信直の父、南部高信が津軽に侵攻し、津軽郡代として石川館に入城した。高信は石川館を整備拡張し、大仏ヶ鼻城と称した。
元亀2(1571)年、津軽支配を目指す大浦為信がこの城に居城する南部高信を攻め、城は落城、高信は自刃した。
為信は、守将として板垣兵部将兼を入れたが、慶長5(1600)年、為信関ヶ原に出陣中に謀叛を起こして敗れた。(この頃には石川城と呼ばれていたようだ)
津軽氏が弘前に築城すると、石川城は廃城となった。
 現  況 城址は弘前市のはずれに位置しており、大仏公園として整備されている。
道路沿いの入口から入ると、広いグラウンドのような公園が広がっており、その奥に階段状に郭が連なっている。
正面を登りきると、櫓台状の平坦面がある。ここから、大浦為信の拠点となった堀越城址を遠望する事ができる。
そこから右手に進むと石川城址碑の立つ平場があり、ここが常の本丸かと想定される。
更に右手に進むと登り道があり、登りきったところにも平場が見られる。ここが往時の詰の丸のような存在(戦闘時の本丸)であったと想定され、この下に腰郭が階段状に連なっている。

大仏公園

大仏公園

一段上の平場

一段上の平場
と物見台(?)

土塁状の土盛

二段上の平場

二段上の平場
と土塁(奥)

物見台(?)

物見台(?)

土塁と本丸(?)

本丸跡(?)

本丸跡(?)土塁

本丸跡(?)

大仏ヶ鼻城址碑

本丸跡(?)

詰の丸腰郭

詰の丸腰郭

詰の丸(?)

詰の丸(?)

詰の丸(?)

詰の丸(?)腰郭群

堀越城遠望
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