帝國博物学協会
陸奥國
大光寺新城
 所在地 青森県平川市大光寺
 交通機関 弘南鉄道弘南線 平川駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 大光寺新城の築城時期・築城者については不明である。
大光寺には古くから大光寺氏が拠点を置いていたが、本格的な城郭として整備されてのは、南部氏の勢力が及んだ永享年間(1429〜41)以降の事と思われる。
大光寺城には南部遠江守信愛が居城したといわれており、その後子の左衛門が居城している。
南部氏は、津軽で南部氏に叛旗を翻した大浦為信に備えて、大光寺城主を一族の南部正親に代えて、剛勇で名高い滝本播磨守重行に交代させた。
天正2(1574)年、大浦為信は浅瀬石城の千徳氏と共同して大光寺城を攻撃した。大激戦の末、滝本播磨守は大浦氏勢を撃退している。
しかし、その翌年、冬季には合戦をしないという常識を打ち破って攻め寄せた大浦勢の攻撃を支える事ができず、大光寺城は陥落した。
為信は、城代として乳井大隈守建清を入れたが、後に津軽建広を城主としている。
大光寺新城は、弘前城築城にあたって取壊され、弘前城に運ばれて建築資材として利用された。
弘前城四之丸の亀甲門は、その際に大光寺新城の追手門を移築したものと言われている。
 現  況 大光寺新城は、本丸と北・南・袖郭の4つの曲輪からなっている。
本丸はコミュニティーセンター付近にあたり、同センター前に城址碑と案内板が立っている。
本丸の北東側に、切岸が残されているのが、地表面から唯一見られる遺構である。
南郭は、本丸の南に広がっているが、殆どが宅地化されており、めぼしい遺構は見られない。
郵便局裏が段差となっており、この部分までが郭であった事を示している。
袖郭は、本丸より一段低くなっており、平場状の遺構が確認できる。
北郭は西側と東側に切岸が残されており、特に西側の切岸は比較的良好に残されている。
郭北端には、館神として祀られていた不動堂が存在している。

大光寺城址碑

案内板

本丸跡

本丸北東切岸

本丸北東切岸

本丸北東切岸

本丸跡

本丸南東角

本丸西側

袖郭跡

袖郭切岸

袖郭切岸

南郭南面

水濠跡

南郭南面

南郭南面

北郭西側

水濠跡

北郭西側切岸

北郭西側切岸

搦手跡

不動堂背後の
切岸

不動堂
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