|
|
|
弘前城縄張図
|
|
|
|
|||
|
|
| 所在地 | 青森県弘前市下白銀町 |
| 交通機関 | JR弘前駅下車 バス市役所前下車 徒歩5分 | 別 名 | 鷹岡城・高岡城 |
| 略 歴 |
弘前城は津軽為信によって慶長8(1603)年から築城が開始されたが、本格的な築城は慶長15(1610)年、2代信牧になってからである。 津軽の地は、元来南部氏・北畠氏が治めており、津軽氏の前身である大浦氏は南部氏の被官でしかなかった。 大浦氏が勢力を伸ばしたのは、元亀2(1571)年に大仏ヶ鼻城(石川城)の南部高信を追い出し、地歩を固めてからであった。 天正16(1588)年、高楯城を攻略して津軽統一を成し遂げると翌17年、全国制覇を遂げつつある豊臣秀吉より津軽一円の支配を認められ、正式に南部家より独立した。 津軽氏は、その後幕末まで代々弘前城に居城した。当初、五層の天守を持つ城として築城されたが、落雷によって焼失、現在の三階の天守は文化6(1809)年に再建された。 慶応4(1868)年、12代藩主津軽承昭は奥羽列藩同盟から脱退し、新政府軍に参加した功で弘前城は破壊を免れた。 |
| 現 況 |
弘前城は、本丸・二之丸・三之丸・四之丸・北之郭・西之郭の6つの郭からなっており、四万五千石の大名としては、不釣合いに大きな城郭である。後年、蝦夷地沿岸警備の功績により、十万石に高直しされるが、維持はかなり大変であった事が想像できる。 現在でも、多くの三重櫓や城門を残している、東北随一の城郭である。 本丸は周囲を石垣で囲まれているが、その他の曲輪は土塁造りとなっている。また、堀は全て水濠で、完全な形で残されているのも珍しい。 城址は南側が高台になってなっており、一番北側の四之丸が一番低地になっている。水濠の水は、高台の南側から階段状に関を設けて、一番低い北側に流れ落ち、最後に岩木川に流れ込むように作られている。 本丸・北之郭は有料となっているが、特にゲートが設けられているわけではないので、夜間であれば無料で入城できるようだ。 |
| 四之丸 |
![]() 亀甲門虎口 |
![]() 亀甲門 |
![]() 四之丸北面 水濠と土塁 |
![]() 四之丸東面 水濠と土塁 |
![]() 四之丸北面 水濠と土塁 |
|
![]() 四之丸北面 水濠と土塁 |
![]() 四之丸西面 水濠と土塁 |
![]() 四之丸西面 水濠と土塁 |
![]() 郭内から見た 亀甲門 |
![]() 四之丸郭内 を分ける土塁 |
![]() 四之丸 |
![]() 四之丸土塁 |
![]() 岩木川(西濠) と四之丸土塁 |
![]() 岩木川(西濠) と四之丸土塁 |
| 西之郭 |
![]() 岩木川(西濠) と西之郭土塁 |
![]() 西之郭土塁 と水濠 |
![]() 蓮池掘と 西之郭 |
![]() 西之郭 |
![]() 西之郭南 土塁 |
![]() 西之郭未申櫓 櫓台土塁(内側) |
![]() 西之郭未申櫓 櫓台土塁(外側) |
![]() 西之郭南土塁 と水濠 |
![]() 西之郭埋門 |
![]() 西之郭埋門 |
| 三之丸 |
![]() 三之丸南側 土塁と水濠 |
![]() 追手門虎口 |
![]() 追手門 |
![]() 追手門 |
![]() 三之丸南側 土塁 |
|
![]() 三之丸南側 土塁 |
![]() 三之丸南側 土塁 |
![]() 三之丸南側 土塁と水濠 |
![]() 三之丸西側 土塁 |
![]() 三之丸西側 土塁 |
|
![]() 三之丸西門付近 |
![]() 三之丸南東角 土塁と水濠 |
![]() 三之丸南東角 土塁と水濠 |
![]() 三之丸東側 土塁と水濠 |
![]() 中御門虎口 |
|
![]() 中御門 |
![]() 中御門 |
![]() 中御門脇土塁 |
![]() 三之丸東側 土塁と水濠 |
![]() 三之丸東北角 土塁 |
![]() 賀田御門遠望 |
![]() 賀田御門虎口 |
![]() 賀田御門虎口 |
![]() 二之丸・北之郭・本丸 |
|
|
|
|||
|
|