帝國博物学協会
堀越城縄張図
陸奥國
堀越城
 所在地 青森県弘前市堀越
 交通機関 JR弘前駅下車 弘南バス 堀越下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 堀越城は、建武4(1337)年、曽我貞光によって築かれたと言われている。
その後、曽我氏の支配から大浦氏に移ったかはわからないが、戦国末期の頃には、大浦氏が支配していた。
大浦氏の南部氏からの独立を画策する大浦為信は、大仏ヶ鼻城(石川城)の南部高信に取り入り、元亀2(1572)年、堀越城の修築を願い出た。
為信に心を許していた高信は、許可しない理由もなく、堀越城は為信によって修築・強化された。
修築後、為信は至近の大仏ヶ鼻城(石川城)を攻略、高信は自刃し独立の第一歩が記された。
文禄3(1594)年、為信は本拠を大浦城から堀越城へと移したが、家臣の叛乱によって本丸まで攻め込まれるといった事象が発生し、城としての脆弱性が問題となったため、新たに弘前城を築き、慶長16(1611)年、本拠を移した。
元和元(1615)年、一国一城令により廃城となった。
 現  況 城址には、本丸跡に熊野神社が建てられているが、本丸周囲の土塁・掘などが原型を留めている。
また、二之丸についても土塁と思われる土盛が残されており、その外側が低くなっている事から、堀跡と想定される。
城址碑や案内板は、本丸ではなく熊野神社参道・鳥居の建っている、三之丸付近に建てられている。
三之丸

堀越城址碑

熊野神社鳥居
二之丸

二之丸土塁

二之丸跡

二之丸土塁

二之丸空掘

二之丸土塁

二之丸跡

二之丸土塁
と空掘

二之丸空掘
本 丸

本丸北西土塁
と水濠

本丸土塁と水濠

本丸虎口跡

本丸南西土塁
と空掘

本丸南土塁
と空掘

本丸南土塁

本丸南東土塁

本丸北土塁

本丸北土塁

本丸南土塁
と空掘

本丸南空掘
と中土塁(?)

本丸虎口

本丸土塁

本丸土塁

本丸土塁

本丸跡

本丸遠望
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