帝國博物学協会
陸奥國
田舎館城
 所在地 青森県南津軽郡田舎館村大字田舎館字中辻
 交通機関 JR弘前駅下車 弘南バス田舎館下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 文安(1469〜86)年間、三戸南部氏が津軽に進出すると、これに従った千徳政久が、浅瀬石城を築城して、この地を治めた。
正久は、次男千徳大三郎貞武に田舎郡を分知した。貞武は、田舎館城を築いて本拠としたと考えられる。
この後、田舎館千徳氏は武光・政伊・政朝・政武と5代に渡って田舎郡の領主としてこの地を治めた。
5代政武の時、津軽は大浦城を根拠とする、大浦為信が津軽統一に乗り出した。
浅瀬石城の千徳氏本家は、大浦氏に味方して、主家南部氏に反抗した。一方、田舎館千徳氏は、南部氏に忠誠を誓い、大浦氏と千徳本家と対立した。
天正13(1585)年4月、南部本家は名久井日向守を大将として討伐軍を送ったが、宇杭野の合戦に敗退した。
これによって、田舎館城は孤立無援となってしまった。
大浦為信は、翌5月に3000の大軍を率いて自ら出陣し、諏訪堂館に着陣、千徳政武は籠城したが、衆寡敵せず玉砕し、田舎館千徳氏は滅亡した。
 現  況 田舎館城の中心は現在は田舎館集落になっている。
主郭は、生魂神社を中心とした場所であり、北西側に「ヤマコ」と呼ばれる遺構が残されている。
「ヤマコ」は落城した時に玉砕した、田舎館城兵330余名を埋葬した場所と言われており、土塁上に立つサイカチの木は、その時に墓碑として植えられたと伝わっている。
外郭は、本郭の北に広がっており、ヤマコから望むと、郭跡が周囲より高くなっているのがよくわかる。

北西より城址を
望む

本郭土塁

本郭土塁

本郭土塁上

田舎館城址
標柱

本郭土塁

本郭土塁と
田舎館新城

サイカチの木

外郭跡

外郭の切岸

外郭の切岸

外郭の切岸

外郭と主郭

ヤマコ遠望

生魂神社

主郭東側堀
田舎館新城と田んぼアート

田舎館新城こと
村役場天守

田舎館新城こと
村役場天守

天守より見た
田んぼアート
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