帝國博物学協会
陸奥國
川守田館
 所在地 青森県三戸郡三戸町川守田
 交通機関 青い森鉄道 三戸駅下車 南部バス 川守田下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 川守田館の守将は川守田常陸入道正弘であり、三戸城北方の守りを固めた重要な館であった。
三戸城への火急の連絡の際は、常陸入道の強弓で、この館から三戸城へ、矢文を飛ばしたと伝わっている。
元亀3(1572)年、後に26代当主となる南部信直が毘沙門堂参詣の際、不和であった養父南部晴政に襲撃された際、川守田館に逃げ込み、危難を脱したという。
また、天正10(1582)年、南部氏25代晴継の葬送の際、その帰途、家督を争っていた九戸実親に襲われてこの館に逃げ込み、自ら鉄砲を撃って撃退させたという。
 現  況 館址は熊野神社から北方の、国道になっている部分と想定されるが、国道脇の空掘がかろうじて残されている遺構で、主要部は失われている。
神社内に案内板が立てられており、ここに館があった事を示している。
案内板の脇に、館主の子孫で天和4(1684)年に死去した、川守田弥之助の碑が息子の弥五兵衛によって建立されている。 熊野神社南方には、階段状の平場があり、往時の腰曲輪とも思える。

熊野神社遠望

空掘

熊野神社境内

熊野神社境内

川守田館跡案内板

川守田弥之助
石碑

石碑移転の由来

空掘

空掘

空掘

腰曲輪?

腰曲輪?

腰曲輪?

熊野神社参道
Top

【運営会社「パラダイムシフト」サービス】

無料ホームページ   携帯ホームページ   無料ホームページ作成   レンタルサーバー   ブログ   ホテル   アンドロイド   評判   Timesell   格安国際電話   宿泊料金比較