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| 所在地 | 福島県白河市郭内 |
| 交通機関 | JR東北新幹線 白河駅下車 徒歩10分 | 別 名 | 白河城 |
| 略 歴 |
小峰城は、南北朝期の興国元年(1340)、結城親朝が小峰ヶ岡に城を構えて小峰城と名づけたことを始まりとする。 その後、結城氏により歴代伝えられるが、豊臣秀吉の奥州仕置により結城家は改易となり、小峰城は会津蒲生氏郷の支配下に置かれる。 江戸時代に入り、蒲生氏の改易後の寛永4(1627)年、丹羽長重が十万石の城主として棚倉城から移封され、幕命により寛永6年に城郭の大改造に着手、4年の歳月を費やして寛永9年に完成した。 寛永20(1643)年、2代光重は二本松城に転封となり、替わって上野館林城より榊原忠次が14万石で入封した。 6年後の慶安2(1649)年、播姫路城に転封となった。 替わって越後村上城より本多忠義が12万石で入封した。 本多氏は2代に渡って白河を治め、2代忠平は天和元(1681)年、下野宇都宮城に転封した。 入替わりで松平(奥平)忠弘が15万石で入封したが、元禄5(1692)年、お家騒動のため出羽山形城に転封となった。 入替わりで松平(越前)直矩が15万石にて入封した。 松平氏は3代に渡って白河を治めたが、3代義知の時に播磨姫路城に転じた。 替わって越後高田城より松平(久松)定賢が11万石で入城した。 松平氏は4代の治世であった。3代定信は老中となり、寛政の改革を実施している。 文政6(1823)年、4代定永の時に伊勢桑名城に転封となり、替わって武蔵忍城から阿部正権が10万石で入封した。 阿部氏7代藩主正外は、老中となりとなったが、攘夷派によって罷免され、減封のうえ棚倉城へ移された。 小峰城は二本松丹羽氏(長重子孫)預かりとなった。 幕末維新のうねりは小峰城を包み、奥州連合に参加した丹羽氏の最前線として戊辰戦争に参加することとなり、薩長率いる官軍により落城することになった。 |
| 現 況 |
現在城址は、本丸・帯郭・二之丸などが城址公園となり保存されており、三重櫓・前御門が復元されてている。 その一方、観光ルートから外れた本丸背面の三之丸石垣などは、荒れるに任せて放置されており、非常に残念である。 |