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| 所在地 | 青森県黒石市境松2-52 |
| 交通機関 | 弘南鉄道境松駅下車 徒歩5分 | 別 名 | 黒石館 |
| 略 歴 |
元弘3(1333)年末から翌建武元(1334)年に起った大光寺合戦で、工藤右衛門尉貞行は、宮方(南朝方)として参加し、恩賞として「山辺郡二想志郡」「田舎郡上冬居郷」の地を得た。 これによって、貞行が田舎郡の地頭代として入封し、居館として築いたのが、旧黒石城と呼ばれている、黒石館である。 貞行には跡継がなく娘が2人あった。延元3(1338)年、貞行が没すると、遺領は妻と娘に分け与えられたが、黒石領は貞行の妻から、根城南部信政に嫁いでいた娘加伊寿の子信光に受け継がれた。 これ以後、康正・長禄の頃まで、根城南部氏の支配が続いたが、黒石館には代官が置かれていたものと思われる。 文明8(1476)年、外ケ浜の野尻城にいた、南部雅楽頭信忠が、家臣三代利右衛門に殺され、津軽の根城南部氏の支配が混乱に陥った。 この混乱を、三戸南部氏が征圧し、家臣千徳氏が浅瀬石城を居城を定めて、黒石を支配した。 慶長2(1597)年、大浦城に大浦為信が、浅瀬石城千徳政康を攻撃し、千徳氏を滅亡させた。 為信は、南部に通じる要衝として、黒石を重視し、この旧黒石城を改修し、外浜地方支配の総代官所を置き、晩年には自らも隠居所として居城した。 |
| 現 況 |
旧黒石城は、内広市館・外広市館・花館の群郭式構成となっていたらしいが、現在では地表面にみる遺構は殆ど残されていない。 弘南鉄道境松駅前の県道五所川原黒石線を東側(黒石方面)100mほどの地点に、「旧黒石城跡」碑が立てられている。 郭は住宅地などなっているが、かろうじて切岸が一部残されている。 |
![]() 旧黒石城址碑 |
![]() 旧黒石城址碑 |
![]() 県道東側 |
![]() 切岸 |
![]() 切岸 |
![]() 切岸と空掘 |
![]() 郭内 |
![]() 切岸 |
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