帝國博物学協会
陸奥國
中野館
 所在地 岩手県盛岡市茶畑1
 交通機関 JR東北新幹線 盛岡駅下車 岩手県交通バス 松尾前下車 徒歩5分
 別  名 中野城
 略  歴 中野館は、天正の頃に九戸政実の弟、高田吉兵衛康実が築城したと伝わる。
天正14(1586)年、南部信直は陸奥中部に勢力を広げるため南下し、滴石城に雫石斯波氏を攻めて攻略した。
高水寺城の斯波氏宗家では、この事態に南部氏の一族である康実を女婿として入れた。
こうして入婿となった康実であったが、間もなく斯波氏との間に確執が生じて康実は斯波家を退去して南部氏のもとへ帰参した。
信直は康実に斯波氏との境目の城として中野館を築城させてここに入れ、中野修理亮直康と名乗らせた。
直康はその後、花輪城に入城して中野南部氏の祖となっている。
 現  況 中野館は、松尾大明神の置かれている境内から、背後の丘陵に築かれていたと考えられている。
主郭があったと考えられるのは、岡上の駐車場のある場所付近と考えられるが、特に遺構が残されているわけではなく、周囲は住宅地になっている。
岡を北側に抜けると、谷内となっている場所があり、このあたりまでが城址と考えられるものの、明確な根拠はない。
松尾大明神境内には、往時のものかは不明であるが、井戸がある。
また、境内と拝殿の間には明確な段差が設けられており、往時は曲輪として二段になっていたのかもしれない。
松尾大明神の道路を挟んで南側に十六羅漢像と五智如来像がある。
この東側に土塁らしきものがあるが、この土塁が後世宗龍寺創建時に造られたものか、往時のものかは不明であるが、ここに平時の居館があったと考えると、また楽しくなってくる。

松尾大明神北側

松尾大明神東側

松尾大明神南西側

松尾大明神西側

松尾大明神境内

井戸

松尾大明神境内

段差北側

段差南側

拝殿

拝殿北側

西側入口

岡上から松尾
大明神を望む

主郭跡付近

岡の北端
十六羅漢像と五智如来像  
この地には下祇蛇寺の末寺宗龍寺があったところで、境内に安置されている石造は十六羅漢像と五智如来像の合計21体で、丸彫りの巨石群として有名である。
南部藩の4大飢饉である元禄、宝暦、天明、天保の大凶作のとき多くの餓死者が出たが、その供養のために祇蛇寺14世、天然和尚がこの石造の建設を発願し、南部領内から供養喜捨を得て、その浄財で天保8(1837)年10月工事に着手した。 そして、紫波郡飯岡山から石材を切り出し、藩の御用職人が3年間を要して、あら刻みを行い、仙北町、青物町付近の若者達の奉仕で北上川を舟で運び、更に川原町、鉈屋町を経て宗龍寺に送り入れ、最後の仕上げをしたという。 この運搬だけで半年を要したといわれ起工から13年目の嘉永2(1849)年6月、天然和尚の愛弟子にあたる仙北町長松寺13世泰恩和尚の時にようやく竣工をみるに至った。
宗龍寺は明治維新後、祇蛇寺に合併されて廃寺となったが、明治17(1884)年11月の大火で灰になり、現在は21体のこの石像群を残すのみとなったのである。

十六羅漢像と
五智如来像

十六羅漢像と
五智如来像

十六羅漢像と
五智如来像

西側土塁
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