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| 所在地 | 青森県青森市浪岡字五所 |
| 交通機関 | JR浪岡駅下車 徒歩20分 | 別 名 | 浪岡御所 |
| 略 歴 |
北畠氏は、南朝の忠臣で神皇正統記を記した北畠親房・和泉石津浜の戦いで討死した顕家の嫡流で、文中2(1373)とも応永年間(1394-1428)とも言われている。 浪岡城が築かれたのは、応仁の乱が発生した頃、北畠顕義の時代に築かれたと考えられている。 16世紀前期には、朝廷に度々使者を送り官位を貰っていることが、山科言継の記した「言継卿記」に記されている。 また、伊勢国司の北畠氏とも連絡があったようで、それまで「顕」を名としていた嫡流が、この頃から「具」を名の一字としている事からもわかる。 永禄5(1562)年、河原御所北畠具信が当主具運を殺害した頃から、北畠氏の家運が傾いて行く事になる。 天正6(1578)年、津軽制覇を目指す大浦為信によって浪岡城は攻略され、最後の当主北畠顕村は西根の寺で自害、北畠氏は滅亡した。 その後、大浦氏は城番を残して引揚げたが、天正13(1585)年、浪岡城は油川城攻略の拠点になっている。その後、天正18(1590)年には南部氏の記録では浪岡城に南部氏の郡代が置かれたとの記録があることから、この頃までは城が存在したようである。 |
| 現 況 |
浪岡城は、内館・北館・西館・猿楽館・東館・検校館・新館・外郭の8つの郭からなっている。 城址は国指定史跡になっており内館・北館・西館・猿楽館・東館は土塁・空掘が良く残されており、その他の郭も住宅地などになってしまっているが、判別できる程度には残されている。北館・内館は発掘が終わっており、北館は、家臣の屋敷地であったことが発掘から判明しており、その礎石・柱穴を示す標柱が立てられている。 城址内館には城址碑が建てられているほか、県道沿いにも城址を示す碑が建てられている。 |
| 総合 |
![]() 浪岡城址碑 |
![]() 城址南面遠望 |
![]() 城址南面遠望 |
| 検校館 |
![]() 検校館遠望 |
![]() 検校館遠望 |
![]() 検校館遠望 |
![]() 検校館・西館 間の空掘 |
![]() 検校館跡 |
![]() 検校館跡 |
| 東 館 |
![]() 東館・猿楽館間 の空掘 |
![]() 東館・猿楽館間 の空掘と中土塁 |
![]() 東館土塁 |
![]() 東館・新館間 の空掘跡 |
![]() 東館跡 |
![]() 東館・外郭間 の空掘 |
![]() 東館・外郭間 の空掘 (奥は北館) |
![]() 東館から内館 を望む (左手猿楽館・奥内館) |
![]() 東館・外郭間 の空掘 |
| 猿楽館 |
![]() 猿楽館南面土塁 |
![]() 猿楽館南東面土塁 |
![]() 猿楽館南面土塁 |
![]() 東館・猿楽館 間の空掘 |
![]() 猿楽館跡 |
![]() 内館から猿楽館 を望む |
| 東館・北館間の中土塁 |
![]() 中土塁 |
![]() 中土塁 (奥猿楽館) |
![]() 中土塁から内館 を望む(右北館) |
| 北 館 |
![]() 北館東土塁 |
![]() 外郭・北館間 の中土塁 (奥北館) |
![]() 北館北面土塁 |
![]() 北館東小口 |
![]() 北館北面土塁 |
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![]() 北館跡 |
![]() 北館跡 |
![]() 北館跡 |
![]() 北館中通 |
![]() 北館跡 (奥猿楽館) |
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![]() 北館跡 |
![]() 北館・内館間の 空掘と中土塁 (左内館・奥西館) |
![]() 北館跡 |
![]() 北館西小口 |
![]() 北館西小口 |
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![]() 北館北面土塁 と空掘 |
![]() 北館・外郭間の 中土塁 (左北館・奥西館) |
![]() 北館西側土塁 |
![]() 北館西虎口 |
![]() 北館西虎口 |
![]() 掘底道より 北館を望む (奥東館) |
![]() 新館・外郭・西館・内館 |
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