帝國博物学協会
根城縄張図
陸奥國
根城
 所在地 青森県八戸市根城
 交通機関 JR本八戸駅下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 根城が何時頃築かれたかは正確にはわかっていないが、建武政権から北条方であったとして、領地を没収された工藤三郎兵衛尉の頃には存在していたようである。
明確に歴史上に登場するのは、建武元(1334)年、南部師行が甲斐から入部した頃からである。
師行は、陸奥国司北畠顕家と共に入国し、陸奥国代のとして根城に入ると、工藤氏の館址に築城した。しかし、延元3(1338)年、泉州石津で足利軍に破れて師行は討死した。
延元3(1338)年、泉州石津で、南朝方の師行・顕家は足利軍に破れ敗走、師行は討死してしまった。
師行の死後、五代政光までの間、根城南部氏は南朝方として頑強に抵抗したが、徐々に勢力を失っていき、先に北朝方となっていた三戸南部氏がこれに代わって奥州を支配するようになっていった。
永禄10(1567)年には、根城を一族の櫛引弥六郎が攻撃している。この頃になると、根城南部氏は「八戸氏」を名乗るようになっている。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原戦役には、留守居を八戸政栄に委せ、三戸の南部信直は八戸直栄を率いて参陣している。これにより、三戸南部氏は近世大名の階段を上り、根城南部氏は実質的にその家臣の位置付けと確定した事になる。
寛永4(1627)年、南部利直からの要請で、八戸直義は遠野へ転封となり、根城は廃城となった。
 現  況 根城は、馬淵川を望む台地の突端に築かれている。最高所を本丸とし、背後は西ノ沢の谷地によって守られており、本丸・中館・東善寺館・岡前館・沢里館の5つの郭からなっている。
岡前館は実質上3つの郭からなっており、中館・東善寺館の間にも別の郭が区画されていたようである。
城址は国指定史跡になっており、北側の本丸・中館・東善寺館の土塁・空掘遺構が良く残されている。
一方、南側の岡前館は住宅地となっているため、郭内の遺構は完全に破壊されてしまっているものの、三番掘などの掘遺構は、比較的原型を留めている。
最南端の沢里館は、土塁・空掘などの遺構が良く残されており、史跡から離れた位置の残存遺構としては、特筆に価する。
本丸内には、発掘から判明した館などの遺構が復元されており、中世城館の様子を窺い知る事ができる。
博物館前の門は、八戸城東門として移築されていた、根城唯一の現存建物として伝わっている。
東善寺館

旧八戸城東門

旧八戸城東門

東善寺館前空掘

東善寺館前空掘

東善寺館西土塁

東善寺館碑

東善寺館

東善寺館東空掘

東善寺館北土塁
と腰郭

東善寺館北腰郭

東善寺館北腰郭

東善寺館北腰郭

東善寺館北腰郭

東善寺館西土塁

東善寺館小口

東善寺館西空掘

護摩堂址

護摩堂址付近

三角の郭

三角の郭

三角の郭
空掘跡
岡前館

三番掘碑

三番掘と土塁

三番掘と土塁

岡前館東空掘

岡前館東空掘

岡前館東南角

岡前館南空掘

岡前館南空掘

岡前館南空掘
と土塁
沢里館

沢里館東土塁

沢里館南空掘
と土塁

沢里館跡

沢里館跡

沢里館跡

沢里館西土塁

沢里館西土塁

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