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| 所在地 | 青森県平川市尾崎 |
| 交通機関 | 弘南鉄道平賀駅下車 弘南バス 公民館下車 徒歩5分 | 別 名 | 尾崎大館 |
| 略 歴 |
尾崎城の築城時期・築城者は不明であるが、室町期には浪岡城北畠氏の家臣、尾崎氏が居城していた。 尾崎氏は、その後北畠氏を離れ、尾崎喜蔵が城主の時、大光寺城の城代滝本重行に従っていた。 津軽藩史には、天正3(1575)年、大浦為信が大光寺城を降すと、翌天正4年には、尾崎城主喜蔵、新屋城主源次郎が降伏したと記されている。 その後、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦には、藩主信枚が出陣した留守をついて板垣将兼・多田玄蕃らと叛乱を起し、堀越城に籠城したが、今信則に討ち果たされた。 これにより、尾崎氏は領地を失い、尾崎城は廃城となったと思われる。 |
| 現 況 |
城址は、尾崎の集落全体に広がっている。 主郭は、八幡神社裏手の高台にあり、現在は民有地となっているため見学する事はできないが、その門横に立派な石碑が立っている。 特に八幡神社裏手は、切り立った切岸と共に、堀の跡も良く残されており、城址の雰囲気をよく残している。 その他の郭については、集落の中に埋れてしまっているが、周辺を歩くと、所々に往時の切岸を残した壁が残っているのが分かる。 |
![]() 主郭西側切岸 |
![]() ニ郭跡 |
![]() 主郭南側切岸 |
![]() 主郭南側堀 |
![]() 主郭南側堀 |
![]() 主郭 |
![]() 主郭 |
![]() 主郭水濠 |
![]() 主郭東側切岸 |
![]() 尾崎城址碑 |
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![]() 主郭北側 |
![]() 主郭北側 |
![]() 主郭北西櫓台 |
![]() 主郭西側 |
![]() ニ郭北側切岸 |
![]() ニ郭北側切岸 |
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