帝國博物学協会
陸奥國
横内城
 所在地 青森県青森市横内字亀井146-1
 交通機関 JR青森駅下車 青森市営バス 浄水場入口下車 徒歩5分
 別  名 鏡城・堤城
 略  歴 三戸南部信時は、四男田子弾正光康を、外ヶ浜鎮定のために派遣した。
光康は、堤浦の古館に居を定めて、外ヶ浜の統治にあたった。
明応7(1498)年、光康は横内城を築城し、以後4代に渡ってこの地に居城した。
光康は、姓を堤と改め、以後代々堤弾正を名乗っている。
天文23(1554)年、3代則景は、南部九戸の乱に出陣し、桜の庭で討死した。則景の妻は、朝日御前といったが、夫の死に際して髪を下ろしこの地で夫の冥福を祈りつつ、亡くなっている。
天正13(1585)年、大浦為信が本格的に外ヶ浜攻略に乗り出した。4代目堤弾正は、城を打って出て戦ったが、高陣場付近で討死した
これによって、横内城は大浦氏支配となり、横内十人衆と呼ばれる城番が置かれたが、後に廃城となった。
 現  況 城址は、常福院境内となっている。境内には、朝日御前の墓と、3代則景の墓が、寄り添うように残されている。
横内城は、円形に縄張りされていたため、鏡城とも呼ばれたが、その遺構が南から北東側に残された、空掘の遺構によってよくわかる。
城址北側は、墓地として造成されてしまい、空掘は埋められてしまった。
南西側はすこし周囲より下がっている事から、堀であった事がわかるが、現在は寺の庭となっている。

常福院山門

横内城説明版

常福院本堂

朝日御前墓と
五輪塔

主郭西北空掘

主郭西南堀跡

主郭西南土塁

主郭南側空掘

主郭東側空掘

主郭東側空掘

主郭東北側空掘
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