帝國博物学協会
近江國
安土城
 所在地 滋賀県近江八幡市安土町豊浦
 交通機関 JR東海道線 安土駅下車 徒歩20分
 別  名 -
 略  歴 天下布武を目指す織田信長がその居城として天正4(1576)年、丹羽長秀を奉行として築城したのが安土城である。
安土とはは平安楽土に由来すると言われている。
信長は織田家の家督と岐阜城を、嫡男の信忠に譲ると、茶道具だけを携えて長秀の屋敷に移ったといわれている。
安土城は七重の天主がそそり建つ城郭で、天主内部は狩野永徳の筆による障壁画が彩る御殿造りであったと言われている。
天正10(1582)年6月、本能寺の変が発生し、明智光秀によって信長が横死すると、安土城は明智光秀の支配下に置かれ、城代として明智秀満が入城する。
しかし、山崎の戦いで光秀が敗れると、替わって信長の次男信雄が入った。
この時、安土城は何者かによって火を掛けられて、さしもの名城も灰燼に帰してしまった。
火を掛けた人物には、織田信長の次男、信雄によるものという説、秀満が退城する際に火を掛けたと言う説、城主不在の城に略奪のために侵入したものによる失火などの説がある。
その後、安土城には信忠の嫡男三法師が入城する。
三法師は、天正11(1583)年、賤ヶ岳の戦いの後には、丹羽長秀の庇護の元、近江坂本城に入城し、安土城は無城主状態となった。
天正13(1585)年、秀吉の甥の秀次が、近江八幡の八幡山(鶴翼山)に八幡山城を築いた際に、安土城の建物や城下の町々を強制的に移転させたため、安土城は廃城となった。
更にその後、彦根城を築城する際にも、多くの石垣を破壊して資材として持ち去られたと伝えられている。
 現  況 城址は国指定史跡に指定され、現在でも発掘作業が行われている。
20年以上前に訪れたきりなので現況はよくわからないが、羽柴秀吉邸などが、発掘・復元されているらしい。
再度訪問してみたい城の一つである。
なお、現在は入城には入場料が必要となっているらしい。

安土城址碑

総見寺山門

総見寺塔

森乱丸邸跡

三之丸石垣

三之丸櫓台石垣

織田信忠邸跡

黒鉄門跡虎口

二之丸石垣
と本丸櫓台石垣

二之丸跡

織田信長廟所

本丸跡

天守台石垣

天守入口
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